岡野隆さんの詩誌時評『No.015 月刊俳句界 2014年05月号』をアップしましたぁ。岡野さんは俳壇インサイダーではありませんから、外から見ると俳壇って今回のコンテンツのやうな場所に見えるんでせうね。あ、もちろん不肖・石川も俳壇アウトサイダーですから、だいたい岡野さんと同じやうな視線で俳壇を見ております。病(やまい)が深ひといふか、問題山積みの世界ですなぁ。
まあはっきり言って、文学の世界で作品を書くことでなんとか食べていける可能性があるのは小説の世界だけです。若いうちは有名詩人(歌人、俳人、自由詩人)は漠然と文筆で食べてるんだろうと思いがちですが(実際に作品で生計を立てている人が、各ジャンルに1人くらいはいるかな)、そりは幻想です。詩壇で頭角を現し、詩人という肩書きをフル活用してフリーライターなどの仕事で稼いでいる方がほとんどです。ほんでフリーライターなどの仕事を受注する能力は文学の才能とはまったく関係ない。人付き合いの上手さや、人脈の拡げ方の巧みさなどによって仕事が取れるかどうかが決まる。文章力よりそっちゃの能力の方が決定的ですな。
もちろん何でお金を稼ごうとその人の自由です。ただ石川が見ている限り、文学者がフリーライターを兼ねるのはけっこう危険です。同じ書く仕事なのだから相性はいいだろうと思われがちですが現実は逆です。誇りを持って仕事をしておられるフリーライター専門の方もいらっしゃるのでこれ以上は書きませんが、石川はフリーライターをしながら文学活動を続けたいと相談を受けたときは、絶対的にサラリーマンなどの文学とは無関係の仕事をしながら文学の仕事を続けた方が良いとアドバイスしています。
んじゃ詩人はどーしたらいいのよ、といふことになりますよね。できれば小説家(といっても現在作品を書いて生計が立っている作家は、大衆文学を除けば純文学ではほんの一握りです)と同じように、すべての時間を創作活動に当てたいはずです。これについてはみんなでいっしょに扉をくぐれるわけではないので、個々の詩人が自力で扉をこじ開けるしかないです。簡単に言えば仕事の質を考え、仕事の量を増やすしかないでせうね。
自己の能力を極限まで引き出さなければ、目標には届かないのは小説も詩も同じです。詩の場合、例えば芭蕉についてならけっこう本が売れたりする。でも一般向けの芭蕉に関する本を書いてそれなりに売っているのは、俳人以外の方が多かったりします。誰にとっても自己の創作は大事ですが、それに益する関連の仕事をも考えていかなければ道は開けないでしょうね。
また出版社から注文が来るのを口を開けて待っていてはダメです。現実問題、書けると思っていても、実際書け書けとせっつかれると、ぜんぜん書けない作家が大半です。筆力がなければ何も始まらない。物書きなんですから。岡野さんの今回のコンテンツ、総体的に言えば上から下まで知らず知らずのうちに囚われている、俳壇内向き姿勢を批判しているものだと思います。
■ 岡野隆 詩誌時評 『No.015 月刊俳句界 2014年05月号』 ■