小松剛生さんの第1回 辻原登奨励小説賞受賞作『切れ端に書く』(第02回)をアップしましたぁ。まー実に魅力的な小説(書き方)ですね。不肖・石川、『切れ端に書く』冒頭の「明日を生きる勇気のない僕に君は「冷蔵庫を買いなさい」と言う」や、「まずは最初に大切な事実を話す。とても大切なことだ。僕は冷蔵庫をもっていない」といふフレーズを暗唱してしまひました。今回の連載では「また知らないことが見つかった。ぱたん」を覚えちゃいそうだなぁ。言葉によって何かが開かれ、閉じられることがはっきりと伝わる文体です。
こりは実も蓋もない言い方ですが、若い時期に頭角を現す作家の特徴はたいてい共通しています。簡単に言うと〝背伸びをしない〟作家の方が有利なのです。ある作家が好きなら、その作品をなぞるように書くだけでも同世代に水を開けることができます。ほとんどの若い作家は作品がまとまらない。作品は99パーセント技術で成立しますが、頭でっかちで技術を軽視する作家が多い。大きすぎる観念的主題を抱えてしまい、結局それを技術的に表現できずに終わることもある。なぞるように書くことは、技術の習得はもちろん、観念的主題の設定においても作家を鍛えます。作品をどうパッケージ化すればいいのかわかるのです。
しかしこのパッケージ化能力は諸刃の刃です。若くて上手ければ頭角を現しやすくなりますが、この程度で充分といふパッケージ化能力が板についてしまふと、結局は作家生命を縮めることになります。一定のレベルを超えてしまえば、パッケージ化の能力など身につけていて当たり前なのです。そのレベルになると、残り1パーセントの作家の主題(ヴィジョン)が試されることになる。それは数作読めばすぐにわかります。空っぽじゃんとわかってしまうと、いくら上手くても作品評価は下降線の一途を辿ります。
等身大の視点で書いているように見える小松さんは、とても上手い作家です。でもそれはパッケージ化の能力ではないな。彼は考えながら書いている。思考の動きがはっきり文章から伝わる。それはいわば小説的思考と言うべきものです。この作家は小説という形態でなければ考えることができないし、それを表現できないのだろうなと思わせる。いわば生粋の小説作家かもしれない。『切れ端に書く』は観念的抽象作品に見えますが、どーやらモデル小説(現実にモデルがいる・ある)らしひ。リアルがフィクション(ヴィジョン)にはみ出す構造を持っている作品だといふことです。
■ 小松剛生 連載小説『切れ端に書く』(第02回) pdf 版 ■
■ 小松剛生 連載小説『切れ端に書く』(第02回) テキスト版 ■