『金魚屋各スポンサー様より副賞』をアップしましたぁ。コワーキングスペース 茅場町 Co-Edo様、劇団ファイ・カンパニー様、アトリエ オルタンシア様、ありがとうございます。辻原登先生の墨書も仕上がり次第アップしたいと思います。
んで辻原登小説賞受賞者三名の作品ですが、三澤楓さんの作品は短篇なので連載が終了しましたが、小松剛生さん、大野露井さんの作品は連載が始まりました。小松さん、大野さんには受賞作の連載の他にも作品を連載していただかうと考えています。
文学金魚の偉いさんたちはもちろんですが、末端編集者の不肖・石川も、一定レベルの作品を書く力があるといふことを、作家に必須の能力だと考えています。作家は書かなければ何も始まらないわけです。また書いた作品はどんどん発表していった方が良いと思います。
未発表のまま溜め込んでおくと、まあ言いにくいですが幻想ばかり膨らむやうなところがあります。傑作なんぢゃないとかね。でも発表すれば、たいていの場合、思ったほどの反響がないのが普通です。そりゃそうですよね。ある作品を読んで多くの読者が熱狂してくれることなんて、現在の文学状況では宝くじに当たるより低い確率です。反響がないならないで次の作品を書く。手応えがあるまで書き続けるのが正しい姿勢です。
その意味では作家デビューとは、作家が自由に書ける中立的な場所を確保することでもあると思うわけです。もちろん作家によって書きやすい媒体、書きにくい媒体は自ずからあると思います。流行作家の方でもよく観察していると、あるメディアにばかり書いていて、他の媒体で書くと今一つノリが悪くなるといふことはしばしばあります。
文学金魚は無色透明な中立的メディアを目指していますが、そういふ方針が、外部から見れば一つのカラーになっているでせうね。ただま、文学金魚では作家が表現したいと考えている核のやうなものを、別の方角に向けやうとするような編集は行いません。
ちょいと誤解を招くやうな言い方になりますが、作家を育てることなんてできないわけです。詩の世界では以前から当たり前のことですが、小説の世界でもそうなってきていると思います。何が市場に受け入れられるのか、プロの読み手である編集者すらわからなくなっているので現在の文学業界(特に純文学界)の停滞が起こっているわけです。
こういった状況では、優れていると思われる作家を見出し、その作家の方向性を伸ばすことがいわゆる正しい〝育て方〟になると思います。ただ作家は俺が、わたしがいなければ始まらないぢゃないかと、必要以上に不遜な心持ちを抱いてはいけませんよぉ。第三者の見解はやはり必要なのです。優れた書き手であれば、書き続け、それに対する批評を受けていれば、第三者のどの意見を素直に受け入れ、どれをパスする方が良いのか自ずとわかるやうになると思います。