金井純さんのBOOKレビュー『絵のある本のはなし』『No.028 137億年の物語 クリストファー・ロイド著』をアップしましたぁ。ベストセラーになった本ですが、金井さんの評価はあまり高くないやうですねぇ。『137億年の物語』は・・・「理系と文系が出会った初めての歴史書」という触れ込みである。・・・「文系」とは人間の言葉が発生してからの歴史で、・・・「理系」とはそれこそ137億年前のビッグバンをも視野に入れ、その歴史は今日まで続いている。しかしこの本では、「文系」が登場した瞬間から、「理系」の姿は影を潜めてしまう。つまり「理系と文系」はまったく「出会わない」のである』と書いておられます。
ただ金井さんは、『出版不況は久しいが、書物への根源的な期待、欲望は失われてはいないと思う。こういった本がベストセラーになったと聞くと、なおそう思える。私たちはすべてが書き尽くされた一冊の書物を求めているのだ、ということだ。本が売れなくなればなるほど、「最後の一冊」に対する期待は増すのかもしれない』とも批評しておられます。そのとおりでしょうね。『137億年の物語』が売れたのは、これを読めばすべてがわかるかもしれないといふ読者の幻想をキャッチできたからかもしれません。
現代社会では誰もが基準と認知できるような思想が措定しにくくなっています。ポスト・モダニズム思想が神的概念の否定(脱構築)を主眼としていたことを思えば、それは当たり前のことです。出版界でもメディアがある作家の特集を組んでも、〝それって本を売りたいためのメディアの都合でしょ〟といふ感じになっている。作家が書評や作家論などを書いても同じです。〝きっとなんかのしがらみがあるんでしょ〟といふ感じです。そういった醒めた反応になるのはメディアや作家に関する裏情報が氾濫しているからですが、もっと大きな理由は思想的基盤・基準が存在しないことにあります。
簡単に言うと、思想的基盤・基準は作家のエゴ(自己表現欲求)を超えたパブリックな思想です。それを感じ取れれば、特集や書評、作家論だろうとある透明な思想的説得力を帯びてきます。露骨な言い方をすれば、終戦から1980年頃まではいわゆる〝戦後文学〟の共通思想パラダイムがあったので、しょーもない作家の書いたものでもそれなりに読むことができたのです。ところが共通思想パラダイムが霧散した現代では、メディアや作家のエゴばかりが目立つようになっている。それでは多くの読者を獲得することはできません。
文学金魚では詩や小説や批評をジャンル別にではなく、総体的に捉える総合文学主義を掲げています。また各文学ジャンルの基盤を探究する文学原理主義も掲げております。聖書やマラルメを持ち出すまでもなく、人類にとっての一冊の書物など存在しません。しかし人類史を貫くような形での書物は想定できるはずです。現代人はその書物に新たな1ページを加える義務があり、それを成し遂げられるのは、自己表現欲求というエゴを超えた高い能力を持った文学者だけだろうなぁと不肖・石川は考えております。人間はなりたいものにしかなれないそうですから、そういった作家を見出し応援できればいいなぁ。ま、理想は高くなくっちゃね(爆)。
■ 金井純 BOOKレビュー 『絵のある本のはなし』『No.028 137億年の物語 クリストファー・ロイド著』 ■