岡野隆さんの俳句評論『唐門会所蔵作品』『No.016 自筆原稿『句篇』その①―『句篇(一)-夏への旅-』をアップしましたぁ。久しぶりの俳句評論です。岡野さんは唐門会さん所蔵の安井浩司氏自筆原稿『句篇(一)-夏への旅-』を全文ワープロで起こし、公刊句集との校訂などを行って公開しておられます。大変な作業であります。まぢお疲れ様でした。
岡野さんは詩人・鶴山裕司さんの安井氏の代表句『渚で鳴る巻貝有機質は死して』の読解を援用しながら、『俳句文学は、その形式を絶対に手放すことができない。「巻貝」(俳句形式)の中に風が吹き込めば、それはどんな音色であろうと鳴るのである(俳句ができあがる)。・・・・しかしほとんどの俳句作品は俳句形式が作り上げているものであり、その内実は死んでいる(「有機質は死して」)。・・・・しかし・・・・安井氏は・・・・絶望を表現しているわけではない。恐らく安井氏は、俳句文学が飽くことなく繰り返してきた「表現形式」と「表現内容」の関係を、従来とは全く異なる審級に移行させようとしている。・・・・安井氏の目指すそれは、有機質が死に絶えた〝空〟の審級に属しているのである』と批評しておられます。的確な批評だと思います。
岡野さんの評論は今日を含めて全5回掲載しますが、極めて文学金魚的なコンテンツだと思います。紙媒体では今回のような膨大な資料をそう簡単には掲載できないでしょうね。しかしこのような基層的な検証こそが、本質的なジャーナリズムを作り出すのだと石川は信じております。前衛俳句が包含している問題は、俳句の最先端(未来)に関わる問題であり、それは現在のトップランナーである安井氏の仕事を徹底検証することでしか明らかにできないと思います。今年出た句集を時評する前に、俳句界全体の基盤になるような認識を作り上げなければならないといふことです。
またネット上に公開された情報は、基本的に世界中から見ることができます。ネット情報はいい加減だと思いたがる文学者もいますが、本質的には逆だと思います。クローズドな紙媒体よりも、全世界の人に対して開かれたネット情報の方が厳しい視線に曝される可能性が高い。むしろ限られた人しか読まない紙媒体の方が、いい加減なことを書きやすい面がある。
もちろん揺るぎない信念を持ったプロの書き手は、どんなメディアに書こうと気にしないでしょうね。しかし中途半端な物書きにとっては、ネットメディアよりクローズドな紙媒体の方が居心地がいいかもしれない。特に詩壇(俳句、短歌、自由詩)は非常に特殊な〝ギョーカイ化〟しています。紙媒体に未来がないとは言いませんが、世界に向けて開かれた姿勢で書かなければ、現代の静かだけど大きな変化から取り残されるでしょうね。
■ 岡野隆 俳句評論 『唐門会所蔵作品』『No.016 自筆原稿『句篇』その①―『句篇(一)-夏への旅-』 ■