ラモーナ・ツァラヌさんの『青い目で観る日本伝統芸能』『No.013 抑えきれない感情の世界 ― 人形浄瑠璃〈近江源氏先陣館〉と〈日高川入相花王〉』をアップしましたぁ。今回は人形浄瑠璃(文楽)でありまふ。ラモーナさんは、『近江源氏先陣館』から二段、『日高川入相花王』からの一段を取り上げておられます。文楽って、全部やるとちょ~長い作品が多いのよねぇ。昔は悠長だったといふことかもしれませんが、長時間じっと見つめていると、物語にどんどん引き込まれていくのも確かでありまふ。
不肖・石川は文楽好きではありませんが、テレビでじーっと見ていて、思わず泣いちゃったといふ思い出があります。あれは不思議な体験だったなぁ。文楽って、いかにも作り物の劇なんですが、どんどん人形しか見えなくなっていくんですね。無表情な人形が、非常に饒舌になっていくやうなところがありまふ。図書館なんかにDVDがありますので、まだじーっと見たことがなひ皆様は、一度ためしてみそ。
ラモーナさんは、『生身の役者の体を使う演劇は、物語と現実の境界線を曖昧にしてしまう性質がある。これに対し、人形劇は激しい感情を浄化した形で見せることができる。人形劇では感情が人間から独立し、それが人形の体を使った物語形式に当てはめられることによって、人間に自分自身の感情を客体化して意識させるかのようなのだ。その意味で人形浄瑠璃は人間の内的世界を映し出す一つの鏡である。私は「芸術」と呼ばれる複数の鏡の中で、人形浄瑠璃が最も分かりやすく、最も澄んだ映像を見せてくれる鏡だろうと思う』と批評しておられます。
そうなんですよねぇ、文楽って〝人間に自分自身の感情を客体化して意識させる〟芸術だと思います。明らかな作り物ですよ~といふ前提なのに、非常に切実な感じがします。そういふ意味で、人形を使うこととお能のお面は、どっかでつながっているような気がしますです。でもこの仕組みを完全に説明するのはとぉっても難しい。少なくとも日本人は誰もが納得できるような解答を出していません。日本の伝統芸能って、単純なやうで奥が深いのでありますぅ。
■ ラモーナ・ツァラヌ 『青い目で観る日本伝統芸能』『No.013 抑えきれない感情の世界 ― 人形浄瑠璃〈近江源氏先陣館〉と〈日高川入相花王〉』 ■