■ウィキッド 劇団四季(ミュージカル)■
劇団四季
脚本=ウィニー・ホルツマン
原作=グレゴリー・マグワイア
演出=ジョー・マンテロ
日本語版歌詞・台本=浅利慶太
出演=谷原志音/雅原慶ほか
2014年5月
派手な舞台装置が動き出すと同時に、期待感が高まり開演となったのが、今回、筆者が観劇した劇団四季ミュージカル作品「ウィキッド」だった。主役は2人、「善い」魔女と「悪い」魔女が並び立つスタイルだった。
「善い」魔女グリンダ役の谷原志音は声質から云うとソプラノ、「悪い」魔女エルファバ役の雅原慶はメゾソプラノで、オペラやミュージカルの常識からすると谷原が主役というべきだろうが、私は今回は、雅原に注目して見た。その理由は、グリンダより複雑な内面を持ったエルファバ役を台詞回し、表情、歌唱、ダンス等を通じて彼女が表現していたために、深く感銘を受けたからだ。
物語は名作『オズの魔法使い』のもうひとつのお話といったストーリーだ。エルファバが正義と自由を求め、真の悪人であるオズの魔法使いや魔法の大学の校長等と戦い、最後に彼らに滅ぼされたかのようにみえながらも、生き延びて、恋人とオズの国を脱出して幕切れとなる。他方、エルファバの大学時代の同級生グリンダが、悪人を倒し、オズの国に平和がもたらされる。しかし、こうして述べただけでは表現し尽くせない程、複雑で、様々な示唆に富む壮大な物語なのだ。
雅原慶は第一幕前半では心に一点の曇りもない無邪気な若い女性を演じていた。屈託のなさをそのまま表しているといった趣だった。しかし、その全身緑色(エメラルド色)という醜い容貌から同級生らに嫌われてしまい、屈折していく。その心の闇を微苦笑でもって演じていた。台詞回しも戸惑いから所々止まるような感じがあり、歌唱も一見明るいが、何か暗いものがそこにあるといった感じの歌い方になっていた。
更に彼女は第一幕の終わり頃では、本当の悪人であるオズの魔法使いなどと戦うために、悪い魔女ウィキッドになることを決め、吹っ切れたように歌い、表情も決然としたものになっていた。この辺りは実に巧かった。
しかし、第二幕に入って、エルファバはグリンダに想いを寄せていたはずの王子フィエロに想いを寄せられ、恋人同士になると、演じる雅原慶も悪人と戦う女性の表情・態度は崩さないながらも、世間と和解できたという気持ちを表すように、どこか優しさを感じさせる表情、そして柔らかい台詞回しに変わっていく。
第二幕後半、即ち終演に近い辺りで、エルファバは妹のネッサローズがオズの魔法使いらに殺されたらしきことを知り、再び悪人に立ち向かおうと決然とした表情、台詞回し、歌唱、ダンスになっていく。しかしそこには恋人のフィエロに愛されているという心の嬉しさがあるために、昔の彼女とは違って柔和な面も見える。この辺りの歌唱には伸びやかさが一番感じられた。
筆者は小学生時代に愛読したオズの魔法使いのお話を思い出しながら、アナザーストーリーを存分に楽しんだのだった。
■白い夜の宴 劇団民藝■
劇団民藝
作=木下順二
演出=丹野郁弓
出演=西川明/箕浦康子/中地美佐子/齊藤尊史/細山誉也ほか
2014年6月20日~2014年7月2日
紀伊國屋サザンシアター
今月は劇団民藝のお芝居「白い夜の宴」初日を見て来た。この作品は戦後日本を代表する劇作家だった木下順二の戯曲で、筆者が生まれた年(1967年)に初演されて以来実に47年ぶりの再演となった。
今回の作品では主役と呼べる役は西川明が演じていた「父」と齊藤尊史演じるその長男「一郎」の2つあり、どちらの役者を中心に批評するか迷ったが、ここでは息子を演じた齊藤尊史の演技を中心に論じることとする。
「白い夜の宴」は所謂60年安保の数年後(1964年)の日本社会を舞台とし、戦前、戦争を終わらせるべく和平工作を進めたと主張する元内務官僚の「祖父」、戦前、左翼運動をして捕らえられ、釈放後、転向して、軍需産業の花形だった飛行機工場に「祖父」の世話で入り、戦後、その工場を自動車会社に発展させ、現在、社長を務める「父」、そしてその長男で60年安保時に学生運動をしていたものの、その波が去った後、「父」の会社に入り、有能な社員として活躍している「一郎」の三人を中心とした社会劇だ。
この作品では毎年、この一族が自宅で開いている宴の一夜が描かれるが、そこに戦前、獄中で「父」が体験した拷問、そこでの朝鮮人との友情、60年安保時の「一郎」の葛藤などが挟まり、現在時に過去が自在に回想といった形で挿入されてくるといった趣になっている。劇の冒頭、一郎の姉で近々易者として開業予定の算子(かずこ)によって、宴の夜に一郎だけがまだ現れないことが語られ、その後、その一郎が父からの命令で韓国企業とのビジネスを進めるべくその日、交渉にあたったが、結局、現在のビジネスマンとしての自分を批判し、安保闘争時の同志だった恋人の内面の声に従い、いったんは結んだ契約を勝手に破棄したという辺りで終幕となっている。
齊藤尊史は宴に遅れて現れたときには交通事故で遅れたなどと軽く明るい調子で台詞を喋っていた。その喋り方、身のこなしはいかにも有能な若い会社員といった感じがあり、軽い調子のなかにも責任ある仕事を任され、それを営々とこなしているといった雰囲気を巧みに出している。しかし、その後、父が戦前にしていた左翼運動を現在は裏切るような形で大資本家として事業をしていることに対し批判する段になると、内面には重いものを背負っていたということがハッキリわかるようにズシリとした重厚な演技、台詞回しになっていた。更に自分自身の数年前の闘争時の恋人だったN(山田志穂)との国会周辺への座り込みへ行くか行かないかという判断を巡るやり取り、そしてそのようなギリギリの状況下での愛の語らいなどのシーンになると、いかにも半世紀前にはこのような学生がいたと実感させられるようなリアリティある演技となっている。木下順二の硬い台詞が空疎に聞こえないだけの自然さを出しながら、しかし述べるべきことは全て述べてしまおうといった感じがあり、見事だった。木下順二の戯曲は会話というよりは語りなので、このように自然な雰囲気で台詞を喋るのは難しいのだ。
また齊藤は「父」が若い頃、共産党の運動で獄に捕らえられ、拷問されていた時期を演じていた(一人二役)。この齊藤尊史が演じていた若い頃の父の演技も刑事の拷問に負けずに共産主義思想を信じ、そこに殉じようという固い決意が感じられる台詞回しになっていた。ただ脚本では60年安保時の一郎を演じていたときの台詞よりは戦前の父の台詞のほうが自然な感じの台詞のようだったので、齊藤尊史も喋りやすかったのではなかろうか。
筆者はこのお芝居の舞台となっている時代には生まれていなかったが(ほんの数年後だが)、いまや時代は一回転して「闘争」の時代になっているのではないかと感じられる。毎週金曜日に行われている首相官邸へのデモ、政府が進める様々な工作、そして非正規雇用の問題など、暢気だった時代は終息し、熱い時代を迎えていると思われる。そのなかで、この作品の再演は実にタイムリーという気がした。
■永遠の一瞬 -Time Stands Still-■
新国立劇場 小劇場
作=ドナルド・マーグリーズ
翻訳=常田景子
演出=宮田慶子
出演=中越典子/瀬川亮/森田彩華/大河内浩
2014年7月8日~27日
7月11日(金)、新国立劇場でドナルド・マーグリーズ脚本のお芝居「永遠の一瞬」を見た。イラク戦争など戦場の写真を中心に撮るフォトジャーナリストの女性サラの結婚と離婚の物語だ。
主演はTVドラマ・映画などでも活躍する中越典子。彼女に注目して観劇した。
サラには9年間の長きにわたって仕事と生活をともにしてきた恋人ジェイムズがいる。彼は戦争取材を中心に活躍するジャーナリストだ。劇の幕が開いたときにはサラは写真撮影中に路上爆弾で意識不明となるほどの重体となり、片足を大怪我して、米国に帰国している。そのふたりの家をサラとジェイムズが写真や記事を載せている雑誌のフォト・エディターのリチャードと、ずっと年下の恋人マンディが訪れる。そして様々な言葉のやりとりの後、第1幕は幕となる。第2幕はサラとジェイムズの結婚式直後のシーンから始まる。リチャードとマンディも夫婦となっており、リチャードはサラに刑務所の女囚の写真を撮るように依頼する。サラは引き受けたが、ジェイムズはサラの怪我の具合から、まだ無理ではないかと止めようとした。結局、サラは行ったが、そこで或る受刑者の女性に「何故私を撮るのか、撮るな!」と云われたと帰宅後にジェイムズに話す。更にサラは以前、戦場で子どもたちを殺された母親を撮影しようとして、同じように云われたことを思い出したと語る。それを聞いていたジェイムズはもうこのようなギリギリの状況の生活をやめ、サラが普通の母親となり、彼自身は子どもの成長をみることを望むと言う。しかし、仕事と結婚生活の二者択一を迫られたサラは仕事を選び、ふたりは離婚する。最後のシーンでは別れたふたりがそれぞれの道を歩み出していることが語られ、サラは戦場へ出発し、ジェイムズは新たな恋人と交際していることをサラに告げる。
中越典子は終始、頑なな女性という印象を残した。結婚生活中でも主婦らしい柔和さとは無縁な硬い表情・台詞回しだった。その演技を見ていて、これはいずれ離婚してしまうのではないかという予感を筆者は見ていて感じざるを得なかった。その予想は結局的中してしまった。このような予感を感じさせる演技を見せた中越は見事だった。
その一方で、マンディ役の森田彩華は、最初はただの能天気なキャピキャピした女の子ととして登場するが、終幕近くでは平凡な、しかし落ち着いた母親となり、その間の大きな変化をハッキリ見せる演技をしていた。この対照の妙も興味深かった。
しかしもちろん、変化しない役柄が決して演じやすいというわけではない。そこが役者稼業の難しいところなのだ。
現代の女性なら洋の東西を問わず、否応なく迫られる結婚と仕事の選択の苦悩を描いた傑作だと思う。
前野裕
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■