『鉄腕アトム』 谷川俊太郎
「いつか王子様が」のようなジャズのスタンダードとして世界に普及したら、超かっこいい。谷川賢作氏のアレンジを聞くと、そう思う。それは戦後日本のカルチャー、さらには日本という国の成熟を示すだろう。
それは曲、サウンドの話に過ぎないと考えられるかもしれない。が、そうだろうか。「いつか王子様が」を聞くとき、私たちはそれがディズニー映画『白雪姫』の挿入歌だったことを知っているし、「いつか王子様が」というタイトルにもほろ苦い共感と懐かしさを覚える。「いつの日にか 王子様が」というフレーズは、ジャズ風に捻れたり細かく弾けたりしながら、いつも曲の後ろで響いている。
「いつか王子様が」がほろ苦いのは、そんなのは来ないと知ってしまったからだろうか。そうとはかぎるまい。思ったより間抜けで、白い馬もとりあえずレンタルで、多分に頼りないかもしれないが、まあ、それなりには来るんじゃないか。どこか肯定していなければ、どんなに洒落てアレンジされていても、やはり共感はしない。
「心やさしラララ科学の子」が、だから完全に過去の遺物であり、「十万馬力だ 鉄腕アトム」が単なる子供向けの美称だとは、私たちは本当のところは思ってはいないはずである。それは「鉄腕アトム」が最初の国産テレビアニメとして放映されていた頃から今日に至るまで、ずっとそうだったはずだ。しかしそれが地下水流のように隠れていた時代もある。今、私たちは「鉄腕アトム」に見ていたものを、再び見い出す時期に差しかかっている気がする。
物語の主人公として、アトムもまた苦悩する。ロボットだから成長しない、ということの苦悩から始まる成長物語(ビルディングス・ロマン)なのである。アトムにも弱さがあり、だから「十万馬力だ 鉄腕アトム」というテーマの歌詞の向日性、万能感はアトム自身にとっても到達できない理想である。だからこそアトムは当時、子供らと共にあることができた。
しかし視聴者であった子供たちは戦後社会の中で成長し、大人になった。ロボットのアトムは取り残され、ほとんど陰のない、単純な「正義の味方」が生息していた時代のレトロな記憶に過ぎなくなった。私たちはそう、最近まで、彼を思い出す必要も感じていなかった。
「鉄腕アトム」とそのテーマソングは、タイムカプセルだと思う。今、アトムは目を閉じて、実験台に横たわっている。小さな硬い胸を開けると、歯車やら何やらが詰まっている。ロボットだったからこそ腐ることもなく保ち続けてこられた理念、理想だ。しかし私たちもまた、自分の胸を開ければ、子供の頃に仕込んだ歯車の一つや二つは見つけられるはずだ。
ジャズにアレンジされた「鉄腕アトム」がその胸に沁みるのは、さまざまな変奏、変容を経てもなお「空をこえてラララ星のかなた」を完全に見失ってはこなかったと自負する私たちだからだ。高度経済成長、バブル絶頂期、失われた20年を経ても、突き詰めればどこか「心正し / 科学の子」なのだ。
小原眞紀子
■ 谷川賢作 Piano Live 「鉄腕アトム」 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■