『Let it Go~ありのままで~』作詞・作曲 クリスティン・アンダーソン=ロペス 日本語歌詞・高橋知伽江
空前のヒットである。電車の中や路上で、これを唄う女子高生が見受けられる。そんなことが現実にあるのだ。この映画、この主題歌の何が彼女たちを戦前のドラマ、あるいは40年代の朝ドラのヒロインのようにしてしまうのか。
つまりはどんなにナマイキになったところで、若い女の子のメンタリティは昔からそう変わるものではない、ということだ。実際、その年齢に応じて社会から与えられるプレッシャーは決まっていて、だからこそ学園もの、恋愛もの、家族ドラマにサラリーマンの経済ドラマというライフステージに沿ったジャンル分けが時代を問わず定着している。
しかしその中では確かに、姉妹もの、というのはわりとどこにも属さない、宙に浮いたような領域かもしれない。結局、女のライフステージは男の子、もしくは男性との関わりによって類別されるのだ。姉妹という関係性はそこからはみ出る。そういう社会から認知されない、たいていは各々に彼氏や夫ができるまでの儚いような関係性は、けれども確かに世に存在する。姉妹を持つ持たないに関わらず、女子中高生ぐらいなら、それをはっきり認識している場合があるだろう。
『アナと雪の女王』がレズビアン映画、などと呼ばれる理由も、そのあたりにあるのだろう。ここでのレズビアンとは、性的嗜好とは関係がない。ただ、男たちが女のライフステージに関与したり影響したりできないことへの非難の言葉に近い。
女の子たちが人前で狂ったように唄う、その歌詞を見て覚えた異和感は「これが曲として世界的にヒットするものだろうか」というものだった。「ありのままで」というメッセージが日本の女の子たちに届くというのは、わからないことはない。ナマイキになり、ヤマンバになったりコギャルになったり、果てはキャバ嬢に憧れたりと、やりたい放題に見えても、それは彼女らの「ありのまま」ではおそらくない。
「ありのまま」とは無防備な姿だ。そのように暮らせるのは成熟し、自信を得た者だけだろう。女の子たちはその若さもあり、彼女たちに社会が要求するものに対して抗わなくてはならない。また、抗う仲間同士の鞘当ても厳しい。硬軟とりまぜた武装を解除したいという欲求が、突発的な唄声になる。『アナと雪の女王』という、幼い子が観るようなものが抵抗感のない、その受け皿になる。
よく言われるが、しかし “ Let it go ” は「ありのままで」ではない。「状況をそのままに」ということと、「自身がありのままに」ということは、主格が異なる。『アナと雪の女王』の主題歌の大ヒットは、世界的にはすなわち “ Let it go ” というコールの大合唱ということだ。
“ Let it go ” は言うまでもなく、ビートルズの “ Let it be ” を想起させる。それは常に主格のあり様、個性をそのままにアピールしてきた西洋文化の構成員たちが見出した東洋的見知であり、大合唱するに相応しい発見だろう。しかしそれは日本の女の子たちにとっては、これまでも社会から押し付けられていた思想にほかならない。彼女たちが「ありのまま」に武装解除できるには、悟りすましたような日本社会の “ Let it go ” からも解放される必要があるのだ。
小原眞紀子
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