「国境なき文学団」という特集である。内容はともかく、こういうタイトルにするのはちょっとやめてもらいたいな、という感じ。もちろん「国境なき医師団」というのを踏まえてるわけなんだけれども、踏まえるったって、踏まえてるのは「国境なき」のところしかない。「医師」はヒトで、「文学」はガイネンだというズレも気になるし、あんまり上手いジョークとは言えないと思う。
特に引っかかるのは、紛争地域へ出向き、国境も国籍も関係なしに医療活動をする、という目的に比して、そこでやってることは何なんだろう、と思わせてしまって平気なことだ。文芸誌がこれ以上、自分の首を締めようとするのは、マゾ的自虐である、と思えれば、それは少しばかり文学的かもしれないが、そういう切迫感もまるでない。貧すれば鈍する、ということに過ぎないなら、悲しすぎる。
医師も物書きも単なる職業に相違ないけれど、「国境なき医師団」に入ろうとする覚悟があるなら、尊敬してもいい、と思えるわけで、ではさて文学者にとって紛争だの国境だのを無化しようとするのは、いったい何の目的があって、誰のためにすることなのか。
特集では、よく(小学校低学年向けの)学習参考書に出てくる生徒代表のピー子とパー坊みたいな顔が小さく貼り付けられ、吹き出しでコメントする。これもまた、ぜひ学ばなければならない知識のパロディになっていて、実際パロディでしかないことに、むしろ暗澹とする。
国境であれ国籍であれ、無化しようとするのは、それが切実に障害になっているからだろう。文学にとって国境は、では現在、何の障害になっているのか。
「世界文学」といったことが、文芸ジャーナリズムにおける流行というほどではないにせよ、タームとしては使われていることはわかる。これは「世界文学全集」の前半部分ではなくて、「世界文学」という一つのまとまった概念たらんとしているらしい、ということも。
確かに国籍不明の作品が翻訳され、それが世界中にマーケットを持ちつつあるのでは、という期待があることも知ってはいる。だとすれば「国境なき文学団」とは世界市場開拓団であるべきだし、障害としての国境とは言語的なものであって、すなわち言語の差異であるが、それについては流れ弾が飛んでくるわけでなし、翻訳してもらえばいい。
文学を追い詰めた一因は確かにネットで、文学にしてみればその副産物であるグローバル化を利用して、マーケティング面でメリットを探し出そうとするのは当然のことだ。もちろん文学の内実の問題は、そんなことで解決せず、ネットによって追い詰められたのは文学業界自体の内的衰退の結果に過ぎない。
「世界文学」といったお題目が虚しく響かないようにするには、まずマーケットと文学の問題を峻別し、つまらないパロディで事態をなお混乱させないようにした方がよくはないだろうか。
谷輪洋一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■