谷輪洋一さんの文芸誌時評 『No.007 小説新潮 2013年04月号』 をアップしましたぁ。音楽評が続いたので久しぶりの文芸誌時評です。こちらが文学金魚の本業なんですが、音楽や美術の世界への興味は金魚にとって重要です。なんせ文学金魚の社是は総合文学、総合芸術指向ですからん。一つの芸術ジャンルに集中するとしても、現在の世界の動向をきちんと捉えておく必要があります。文学者はもはや特権的な知の祭司ではありません。様々な表現や知が流入する混沌の坩堝であることを求められていると思います。
そんで谷輪さんは『小説新潮』さんの、北原亞以子さんの追悼特集を取り上げておられます。『こじんまりした追悼である。だけど、このぐらいがいいんじゃないか、という気にさせる』と書いておられます。そうですね~、最近の大々的な追悼って、肩すかしが多いです。生きておられた時は偉かったんだな~って感じがするような。谷輪さんは『追悼は、死者がいまだ生々しく生者の側にいた頃の名残りで、生者たちへの影響力がさせるものだ』と書いておられますが、そのとおりだと思います。
追悼文を読む理由は二つあります。一つは物故された作家が好きで、その方の情報を少しでも得たい場合です。もう一つは追悼文を書いておられる方に興味がある場合です。物書きの正念場が後者にあることは言うまでもありません。〝誰が〟〝どんな〟追悼文を書いているのかが問われるわけです。その意味で追悼文は死者のためのものではなく、残された生者の力を試す、最初のハードルであると言うこともできるでしょうね。
■ 谷輪洋一 文芸誌時評 『No.007 小説新潮 2013年04月号』 ■