音楽、とりわけヴォーカル曲が嫌いなのではないか、と思う瞬間がある。ひどく漠然とした言い方だし、「人、とりわけ男が嫌い」などというのと変わらない。好きな人もいれば嫌いな人もいるに決まっている。ただ世の中には自他ともに認める音楽好きというのがいて、さまざまな曲をのべつまくなしに聞いているようだ。それで一生過ごせるなら、何も考えなくていいだろう。羨ましいし、一種の才能かもしれない。が、「私は人間が好きなんです」と臆面もなく言う人と同様、やはりどっか鈍いんじゃないか。人であるかぎりは気に入らない人間の方が多いはずで、音楽に対して選り好みが少ないというのは実のところ、非-音楽的であることを示しているだけじゃないかと、やっかみ半分、思うのだ。
人であるかぎり、人声すなわちヴォーカルという楽器に対して最も好みが出るのもまた、当然のことだ。それぞれの声の好みというのは、まったく説明しがたい。朗々とした美声がうっとおしいということもある。自分にとってだけは、なぜか耳にしただけで気が鎮まるという声もある。基本は声質だが、発する者の精神状態によっても変化する。ピアノもヴァイオリンも本当はそうなのだろうが、人声に関しては多かれ少なかれ、誰でもそれを聞き分ける。ヴォーカルは単なる音源の一つとは、どうしても言い切れない。
そのことは、人が自分に言われた言葉が本気なのか、あるいは嫌味や冗談なのか、相手の口調や声から敏感に感じとることと重なるかもしれない。それは言語学においては、コンピュータと人間との違いを定義づけるものでもある。
ただ音の集積たるインスツルメントよりも、ヴォーカルの方が聞き疲れるのは、音と言葉の二重に判断を求められるからだろう。くだらない歌詞を唄っていても、気にならないほど好ましい声というのも、まれにはある。だが多くの場合は、まず歌詞に引っかかって聞く気にならない、あるいは瞬時に聞き疲れが起きてしまう。
DiVa新譜『うたがうまれる』ジャケット表裏。昔のLPレコードのようなデザイン
ミュージシャンもプロデューサーも、そういったことに日々、試行錯誤していることだろう。9割方の人が文句を言わないような、裏を返せば陳腐な常套句を歌わせるか、もし歌手がそれに堪えられない知性の持ち主であれば、まったくノンセンスな歌詞にするか。いずれにしても、逃げを打つのが最高のソリューションということになる。
『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』と新譜『うたがうまれる』を結果として数百回も聞いたのは、不思議な体験だった。強固な意志と目的をもってそうしたのでなく、気がつくとそのぐらい流れていた。普段からたまに見つけた、気に入ったものを毎日かけ続ける癖がある私には、聞き疲れの感覚は馴染みだが、それがいっさいおとずれなかった。耳に馴れ、しかし常に新しく聞こえた。そういった音楽には、今までに出会ったことがない。
まず最後まで聞こう、さらには繰り返して流そうとするヴォーカル曲はまず、その声質がフィットするわけだが、ビョークとド演歌などを除けば極端でない、中間色のニュアンスを好む私は、いきなりDiVa に納得したのではなかった。あまりに透明で、子供向けのようにつるんとのっぺらぼうな感触が最初にあった。もちろん、ほとんどが谷川俊太郎作詞だから、プレーンでありながら一筋縄でいかない言葉の面白さはあるけれど、それだけで聞き続けられる理由にはならない。
つまりは何百回となく聞いていたのは、高瀬”makoring”麻里子の声でも、谷川俊太郎の言葉でもなく、DiVa の音楽だった、と言うよりほかない。雰囲気としてはジャズをベースに、さまざまな曲想、テクニックが使われているようだが、その変化が飽きさせない、というのとも違う。それらはひけらかされることなく、ごく自然に流れ込んでくる。
そしてその流れ込んでくる“場所”は、まるで真空、空虚そのものだ。言葉も声も音楽のテクニックも、跡形もなくそこへ吸い込まれてゆく。何も残らないから疲れないのだと、これを書きながらやっと気づいた。何も残さない。高瀬”makoring”麻里子の声がこれほどまでに透明なのは、そのためなのだ。
言ってみれば最初から、音でなくその余白に耳を傾けているようなものだ。余白といえば、詩とはそもそも、そういうものだ。人は行分けの詩を読むとき、行間、行下の空虚をも読んでいる。詩書きなら誰でも知っていることだ。
もしぼくがはこだったら
だれにもなにもいれさせない
からっぽがいいいつまでも
でもちきゅうのうえにあるのだから
からっぽはくうきでいっぱい
においもおともかくれてる
(「はこ」/『うたがうまれる』所収)
『二十億光年の孤独』でデビューした谷川俊太郎の最良の作品には、いつも透明な孤独感がにじんでいる、というのが私の読解だ。正確に言えば、透明であろうとすることが孤独にさせ、孤独であることが世界への視線を透明にする。透明であるということは、この俗世に距離感を持ち、ときに宇宙の彼方へ飛び立とうとすることだ。
おもいだしてしまうのつらいこと
わたしをいじめるあなたはにくくない
あなたもまたほかのだれかにいじめられてる
そのほかのだれかも
またもっとほかのだれかに
(中略)
だからいまはただひとりにしておいて
ほんのすこしだけしんでいたいの
ほんとにしぬのはわるいことだから
おんがくもきかずにあおぞらもみずに
ひとりでもくせいまでいってくるわ
(「ひとり」/『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』所収)
「ちきゅう」、「くうき」、「もくせい」といった宇宙に満ちる物理的な物質の透明感こそが、俗世のあれこれの慰めの言葉より、むしろ子供の心に近しい。子供とは本来的に、ひとりで世界に対峙する存在だ。でも社会的な存在に成長したとしても、やっぱり孤独なままなのだ。
人は本当はいつもひとり
でも嘘ついて生きている
こわいから
(「土曜日の朝」/『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』所収)
DiVa の音は、この孤独をそのまま示している。孤独について書いた詩に、曲を付けているのではない。世界に放り出された子供そのままに、まず独りぼっちの音としてある。が、やがてそれが繋がってメロディとなり、歌いはじめる。「うたがうまれる」のだ。ベスト盤冒頭の俊太郎の言葉通り、そのとき詩は音に、歌に恋をする。
生まれ、恋し、死ぬ。宇宙の果てまで昇った視点からは、人も音も、おさかなもはこも言葉も、生死のたわむれに点滅しているに過ぎない。その相を観ることは、寂しく、楽しい。人は実も蓋もなく、自由になるのだ。
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
(中略)
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
(「さようなら」/『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』所収)
説明のつかない衝動で、唐突に自由を希求する子供は生命の塊であると同時に、物質的なあっけない死の相にも近い。「さようなら」の音、透明すぎるほどの声はその両方を示して、まるで死んだ子のようでもあり、同時に生きているおバカな男の子そのものだ。つい涙が出るのは、その音の生命の、透きとおるはかなさに打たれるからだ。
ちなみに女の子の方はもうちょっとしっかりしていて、論理的に思考し、音も現実的なビートが利いている。
わたしはよっちゃんよりもとおくへきたとおもう
ただしくんよりもとおくへ
ごろーよりもかあさんよりもとおくへ
もしかするととうさんよりもひいおじいちゃんよりもとおくへきたとおもう
(「とおく」/『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』所収)
しかし DiVa の音は、言葉を水平線の向こうへと押しやるばかりではない。
かいだんのうえのこどもに
きみは
はなしかけることができない
なくことができるだけだ
かいだんのうえのこどもがりゆうで
(「階段の上の子供」/『うたがうまれる』所収)
いじめも、また原爆を連想するイメージも、音によって抒情にくるまれる。人々が手を携えて壁のようにつくりあげている社会からのメッセージでなく、原初的な手触りで捉えられるそれへと、音が還元する。そのように詩を受けとめ、柔らかく変容させる「歌」に「詩」は恋をする。
あなたは わたしのいえだから
おかげでいつも ほがらか すこやか
どこへいくのもこわくない
あなたは わたしのいえだから
あくいのしゅううもへいきです
かえれば ごはんとねどこが まっている
(「腕(かいな)の家」作詞・テラサキ ミホ/『うたがうまれる』所収)
あなたは私の好きなひと
死ぬまで私はあなたが好き
愛とちがって好きということには
どんな誓いの言葉も要らないから
私たちは七月の太陽のもと
美術館を出て冷たい紅茶で渇きをいやそう
(「あなた」/『うたがうまれる』所収)
「歌に恋して」/「辞書から脱走し」、空の果てに飛翔した「コトバ」は、かならず地上に帰ってくるのだ。恋するがゆえに。また人と触れあい、その腕にすべてを受け止めてもらおうと。それは所詮、見果てぬ夢にすぎないかもしれないが。
大好きなあなた 会えないときにはあなたのすべてが好きです
さみしくっても涙は出ません
こんなにつらいのにあくびばかりしてしまうんです
早く会いに来てください
(「ラブレター」作詞・いしだえつ子/『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』所収)
誰もが独りぼっちで、だから誰もが誰かへ、何かへ手をのばそうとしている。それこそが「私たちの星」の上で起きるすべてだ。
さまざまな言葉が同じ喜びと悲しみを語る星
愛の星
すべてのいのちがいつかともに憩う星
ふるさとの星
数限りない星の中のただひとつの星
私たちの星
(「私たちの星」/『うたがうまれる』所収)
* 作詞者名のない作品はすべて谷川俊太郎作詞。全敬称略
小原眞紀子
■ DiVa 『土曜日の朝』 詩・谷川俊太郎 曲・谷川賢作 ■ (アルバム 『詩は歌に恋をする-DiVa BEST』 収録)
http://youtu.be/GNvrJ4vJkmM
■谷川賢作オフィシャルサイト■
■DiVa取り扱いネットショップ fuku no tane■
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