「40歳からの背徳の官能小説」という特集で、なかなかチャレンジングである。何がチャレンジングかと言うと、「官能小説」に「の」が二つくっついていることで、ジャンルに二重の縛りをかけて狭めていることである。
この縛りが一つずつなら、別に苦労はするまい。漠然とした「官能小説」よりは「40歳からの」と限定された方が、むしろイメージが湧くというものだ。「背徳の」であっても同じである。
しかし「40歳からの背徳の」では、まったく話が違う。「特別付録」として「野性時代読切官能小説」がおまけになっていて、それを読んでもわかるのだが、「40歳からの背徳の」は、単に範囲が狭くなるといったことでなく、相反する二つのイメージを結び合わせねばならないのだ。
それは無論、40歳以降に背徳行為がない、というわけではない。しかしようするに「40歳から」も「背徳」も「官能」に結びついている以上、この「背徳」は「官能」に関わる背徳行為でなくてはならない。が、それは40歳以上には難しく、かなり無理な設定を余儀なくされる。
つまり、40歳以上になると、「背徳」はあっても社会的なものになる、ということだ。それぞれの社会的地位があり、それに対する背徳ならば日常的に起こり得る。その行為が性的興奮を高める、ということは人によってはあるだろう。が、それは一種の変態にすぎず、一般的な「官能を揺さぶる」ものではない。
せっかくの「背徳」が社会化してしまう、というのは専業主婦の場合だって変わらない。いわゆる不倫は「背徳の」「官能小説」の代表格だが、そこに「40歳以上」という限定をつけることで、主婦が子供の母親であるとか、子供がごく幼ければその存在がむしろ官能的であるということもあるのだが、その子がすでに高校生であって、その同級生と、といった話になれば、それはやはり「学校」という社会的制度が作り出す「背徳」に堕ちる。
ではなぜ、若妻であれば「背徳」がしっくりと官能に結びつくのか。実際のところ、それは純粋に年齢の問題ではない。たまたま年齢が若いとしても、何年も男と暮らした挙句にどうにか入籍を果たしたとか、性的羞恥心が擦り切れた女だとかでは「背徳の官能」には程遠い。結局は「背徳の官能」とは性的な「徳」を期待し、される存在にしか、およそ不可能なのである。
あばずれというわけでなくても、40歳以上の女の一般的なイメージとしては、そのような「徳」を頭から信じ込んでいるというのは考えにくいし、もしそうならかえって気持ち悪い。その欠落を補うのに、たとえば亭主の社会的地位といったものからの「背徳」を持ち込むことは、しかしむしろ官能に水を差す。何も考えずにたまたま40歳以上で、フツーに官能小説、という方が、まあまずは官能小説にはなる。
同号には小向美奈子朗読の官能小説 CD も付いていて、先ほどの文庫とのダブル付録だ。女性の覚せい剤も男性の隠し撮りも背徳と言うよりは単なる犯罪だが、官能に程遠い主婦的な勘定を試みれば、お買い得の感はある。
長岡しおり
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