子供の頃、いわゆる歌謡曲というのは、なぜ一律にラヴソングなのかと不思議に思っていた。ラヴソングと言うより、男と女の歌とでも呼ぶべき脂じみた埃っぽさがあって、それがまさしく今は消滅した「歌謡曲」というものであった。
「歌謡曲」とは、よく考えれば、これまた妙な呼び名だ。「歌謡」と「曲」では意味が重なりすぎだから、「歌う」「謡曲」か、と思ったら、何かわかった気もする。
イギリスのような階級の抑圧のない日本には、ロックが生まれる土壌に欠ける。大槻ケンヂが言う通り、ママが怖くてピアノやバイオリンを習っていた「下北沢辺りのアナーキー」しかいないのだ。ようするに、おしなべてポップスなわけで、このポップスというのは訳せば「大衆」だが、すでにあの脂じみた埃っぽい「大衆」なき後の「みんな」を指す。「みんな、今日はのってるかい」と「みんな、ありがとう!」の「みんな」だ。
この「みんな」は「大衆」ではなく、ステージに立つ特定の誰かに、根拠のない好意を持つ人々だ。ファンとはかぎらず、ただその場にいる限りは好意を持っている。ステージから投げかけられる MC も歌詞も、それら「仲間」へのメッセージであり、わかりあえる者たち同士のコミュニケーションだ。この「仲間」は、どこにでもいる可能性がある。ネットからダウンロードした、全国あるいは世界の人々のうち、たまたま波長の合う仲間がピックアップされてゆく。
一方で歌謡曲や演歌によくあった、ご当地ソングは逆に、特定の仲間、そこに住む人々へのメッセージではない。「津軽海峡冬景色」も「伊勢佐木町ブルース」も「ブルーライト・ヨコハマ」も「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」も、むしろ万人がその冬景色なり港のヨーコなりをイメージし、あるいはブルースの情緒をその地名に重ねられるはずだという確信のもとに歌われる。我々は皆、日本人なのだ。「街の灯りがとてもきれい」な「ヨコハマ」に出かけ、その(何なのかはよくわからないが)「ブルーライト」を眺め、彼氏と「二人、しあわせ」を感じるのは比較的たやすいと思われるがため、共感できる。
「大衆」としての普遍的な情緒を追う、というのが「歌謡曲」の定義ならば、ストーリーがいつもだいたい男と女のことに収まるのも、当然のことだ。多かれ少なかれ誰にでも身に覚えのあるストーリーが、日本のどこかで展開される。日本の各々パティキュラーな土地がごくごくポピュラーな情緒に浸されて、「大衆」としての日本人を結びつける。
そのプロデュースの原型を考案したのは、某レコード会社でも事務所でも、あるいは阿久悠先生でもなくて、松尾芭蕉だと言われている。平安期~鎌倉期までの文学テキストにおいて、西行などの歌によって歌枕とされた地が、おもに西日本の文学的なイメージをすでに揺るぎなく構築していた。そのプレテキストを踏まえ、新たに東国の文学的地誌を形作るのに、地名と情緒を結びつけていった。男と女の情緒までは落ちないものの、日常からの解脱としての旅情は宗教的雰囲気もあいまって、今日以上に人々を惹きつけたはずだ。
ところで歌謡曲のご当地は、上記のようにやたらと港とか海っぺりが多い。これも男と女のいわゆる濡れた情緒が下敷きとなるためか。となると、それはやはり切ない恋情よりは、脂じみて埃っぽい男女のことでなくてはなるまい。
小原眞紀子
http://youtu.be/DjeFh_0aYVs
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