くるりというバンドを一言にまとめろと言われれば、私なら「特別じゃない欲望を歌う共振のバンド」と表現する。わりと陳腐な言い回しだがしかたがない。友人が歌った『ばらの花』で知り、腰を据えて聞こうと手に取ったのが『図鑑』だった。実験心に駆られたような前傾姿勢の楽曲と歌詞世界の苛立ちと停滞感のギャップが印象的で、楽曲をまたいで入ってくる『虹(1stオリジナルアルバム『さよならストレンジャー』(1999)に収録)』のリフの一部には、バンドの葛藤のようなものを感じた。歌いたいことがあったのに、なにを歌ってもそれじゃない、というような。
〈きみに届けるぼくの歌〉はPopsの定型であり、いわゆる初期衝動だろう。『ばらの花』にも〈ぼく/きみ〉が明確に登場する。この曲からくるりに入った私にとって、くるりは〈ぼく〉と〈きみ〉の間に生まれる欲望を歌うバンドだ。だから〈ぼく〉や〈きみ〉が登場しない歌は、それだけで少し違った感じがする。本作には〈ぼく/きみ〉も〈ぼくら/きみたち〉も歌詞にあらわれない。
そういうとき、我々は当たり前のように〈ぼく/きみ〉を補完して聞き/歌う。「(ぼくの)千のこころ」「(ぼくの)慕情の落ち穂」「(ぼくの)腫れた傷」と挿入すれば、主観的人称〈わたし〉と、〈わたし〉にまつわる個人的履歴が詞の言葉とリンクする。「青い空(『青い空』)」「電車の窓(『窓』)」「この街(『街』)」と『図鑑』の楽曲の進行とともに彷徨した〈わたし〉の歌探しの旅の終点に、途方に暮れた物思いの〈川〉があるような、そんな風景が立ち上がる。しかし、それなら、『図鑑』は歌が見つからなかった旅の書き付けに、本作を終わりに置いたのか。もしその結末に寂しさを覚えるなら、それは我々が勝手に〈ぼく〉を挿入したためだ。
主観的人称がうたうことにあまりに慣れきっている我々に、本作は物思いの主体を「千のこころ」にみる可能性を残している。つまり〈わたし〉は登場しない。〈わたし〉の時間、昨日とか明日とか〈わたし〉が勝手に区切って順序づけている時間は融解し、「暮れゆく夕凪」には〈川〉の時間が停泊している。「飛び石」や「べんがら格子」は川のモデルになった風景(作詞作曲の岸田繋は京都出身)だが、そこに千の〈だれか〉の風景が千重写しになっている。川に日が暮れるとき〈宙ぶらりんの千のこころ〉を連れてこの時間がたちあらわれる。そのひとつひとつに、千年前の故人の思慕や、あるいは生まれる前の魂の逡巡がある。そういう〈川〉の時間と風景。〈川〉とはそういう無時間性の場ではないだろうか。時間は〈川〉から水を奪えても、〈川〉そのものは奪えないのだ。
〈川〉をうたう〈わたし〉は純粋な〈うたい〉として、主観的人称を亡くし、その忘我のうちに〈だれかの風景〉を触知する。すると、宿なしで川べりに佇む〈うたい〉の存在は、宿りつづけるもののない依り代のようなものとも思われる。だれかの「慕情の落ち穂」を拾っては「燃やそうか」「流そうか」と、自由に物思いを引き受ける。
もちろん、それを〈わたし〉が知ることはない。ただその無時間性の痕跡だけがなにかの残響のように聞こえているのだろう。〈うたい〉とは〈川〉に踏み入るものに起こる現象だ。踏み入る、そのことにはなんらの資格も素質も必要ない。ただ〈わたし〉を固持していては〈川の無時間〉に触れることはない。「見つめ合うことに飽きたらば」という一節には、まさに〈川〉に触れ〈千のこころ〉を身に宿す瞬間があるようだ。「見つめ合う」を〈見る/見られる〉に分節すれば、それが主観的人称に基づく現象であることが確認されるが、それに〈わたし〉は「飽く」のである。もし他動詞的に「止める」と言うのなら、〈見るわたし〉は固持されたままだった。「飽く」というのは少し違う。〈わたし〉は止めるために止めようと思うが、飽くために飽きようとは思えないのだ。
〈わたし〉の外からやってきた忘我の境地は、しかし不意に〈わたし〉を取り戻して、〈川〉を去るためのきっかけとなる。歌詞中でその役割を果たすのが最終連の「鈴の音」ではないだろうか。どこから聞こえてきた音なのかはっきりしないが、その音は〈川〉のせせらぎとは別の波長である。そして「抱いた体の腫れた傷だけを癒す」。〈川〉の外からやってきて〈うたい〉の存在を包み込んだその音は、その身を再び〈わたし〉に還す。〈千のこころ〉の物思いが、どんなにその身を引っ掻いても、あとに残るのはそうと知り得ない痕跡だけなのである。
この痕跡を詞で表象しようとすれば、ふたたび〈わたし〉の捨象から取り組まなければならない。〈うたう〉ことに資格や素質が問われるとすれば、ここだ。それは川べりを去った〈わたし〉に問われることなのだ。〈わたし〉を捨象した詞をもって保存された〈川〉は、だれにも所有する権利がないものとして、我々の追体験から追体験へ、忘我から忘我へと流通する。〈わたし〉の中に歌を探しつづけた〈わたし〉はついに川べりに〈わたし〉の不在する歌を発見した。『図鑑』にはそういう結末もあるのだ。
星隆弘
* 『宿はなし』byくるりは2ndオリジナルアルバム『図鑑』(2000)に収録
http://youtu.be/ZW7W8iKF-DI
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