6月号には平成24年(2012年)に『共喰い』で芥川賞を受賞した田中慎弥氏の受賞第一作『夜蜘蛛』が掲載されている。芥川賞受賞会見の『もらっといてやる』発言で有名になった方である。ご本人がおっしゃっているように本業とは関係ないところで話題になってしまったわけだが、それまでに蓄積されていた、いわゆる文壇への不満が爆発したということだろう。芥川賞候補になること4回目で受賞したわけだが、会見での『私がもらって当然』云々の発言は、田中氏がいかに芥川賞を欲していたかを示唆している。
田中氏は既に文壇に深く取り込められている。文芸誌の新人賞受賞から芥川賞受賞までは純文学作家の文壇出世コースである。文壇は一つの〝社会〟であり、その一員である限り芥川賞を蹴るという選択肢は最初からない。新人賞受賞で正社員になり、野間文芸新人賞あたりで課長に、芥川賞で部長になるようなものだ。この社会の中で一生を終える作家はたくさんいる。文壇で大人になっていく作家もいるし、子供のまま人生を終える作家もいる。作家が大人になれば、受賞会見で冗談の一つも飛ばせるようになるだろう。
こんなことを書くと気が重くなる。ここには確かに日本の〝文壇制度〟がある。この制度はもはや動かしがたい。批判するのもそこに飛び込むのも憂鬱だ。ここではサラリーマンと同様の、いや給与などが保証されないという意味ではサラリーマン以上の苦しみを味わうだろう。その苦しみの代償として、一般社会から注目される芥川賞があるのかもしれない。受賞作が本当に素晴らしいかどうかは別として、それは一年間の純文学制度の頂点である。
父に、お父ちゃんは乃木大将とおんなじだね、すごいねぇ、と言ったのをよく覚えております。息子の言葉を受け止めた父はただ笑っておりましたが、素直な笑顔とはどこか違っている感じでございました。(中略)長い間黙っていた秘密を息子に言い当てられたとでもいうような。なんでお父ちゃんはこんな変な顔をするのかなと、自分の空想を棚に上げて思ったものでございました。(中略)しかし、何をどう考えまして言い訳を探しましょうとも、父があのような最期を迎えましたのは、間違いなく私の、あの言葉が原因なのでございます。
(田中慎弥『夜蜘蛛』)
『夜蜘蛛』は作者の元に送られて来た、読者の手紙の再録という形を取った私小説である。読者が作者に手紙を書いた理由は、『お作の中に何度も取り上げていらっしゃる、人の死、殊に自殺に関します記述に、私、いつも心を引かれております』という記述で示されている。自殺、手紙、乃木大将という小説要素からもわかるように、この小説は夏目漱石の『心』を連想させる。
手紙の主の父親は第二次世界大戦に従軍し、負傷兵として帰還した。父親から聞いた断片的な戦争の思い出や、父親が四方山話で語った乃木将軍の話などが子供だった手紙の主の心の中で混じり合い、『お父ちゃんは乃木大将とおんなじだね、すごいねぇ』という言葉になったのだった。『長い間黙っていた秘密を息子に言い当てられた』や『父があのような最期を迎えましたのは、間違いなく私の、あの言葉が原因なのでございます』という言葉からわかるように、手紙の主とその父との間には、自殺に突き進む共犯的関係がある。
明日が(昭和天皇の)大喪の礼という日の朝早く、私は姉からの電話で父の死を知らされました。自殺という言葉を聞きました瞬間、頭の中から何もかもが消え去り、同時に全てが鮮明に浮び上がって勢いよく押し寄せてくるようでもありました。(中略)
義兄が中心になって葬儀業者、また親族などへの連絡を取っている最中、あたしは見てないから、と断って姉が私に手渡した封筒は、父が私に宛てた遺書でございました。(中略)
・・・お前はわしを乃木大将だと言ってくれた。それで今度のことが閃いた。(中略)陛下が亡くなって一つの時代が終わって、それに合わせて人生も終わらせる。お前にはなんの責任もない。(中略)死んでゆく人間にとっての完璧な終り方というのは、生き残る人間にとっては迷惑だろう。恩知らずに思えるだろう。しかし天皇陛下に殉ずるという死に方を教えてくれたのはお前だ。大将と同じだと教えてくれたのはお前だ。感謝している。
(同)
やがて小説の作者は、手紙の主もまた、父親の後を追うように自殺したことを知る。『心』と同様に遺書があり、二人の自殺者が出る。ただ手紙の主は、父親の遺書の内容を素直に受け取っていたわけではない。『遺書の中ではいかにも自らの決断のように綴り、感謝しているとかお前が息子でいてくれてよかったとか、感情に訴える言葉を連ねておいて、実は、子どもの頃に発したあの一言を私自身が一生後悔すればいいのだとの意図が込められていた、父は永久に私を苦しめるために一命を投げ出したのではなかったでしょうか』とある。
A氏の父親の自死は、A氏が書くような、息子を苦しめるためのものであるとは思えない。おそらく父親の中には、戦後の世代には想像もつかない純粋な、政治色をまとうことのない、国家観があり、それに従ったということではなかろうか。(中略)この推測に立てば、A氏自身の自死は、あまりに悲劇と感じられる。たった一つの言葉が人間の生涯を左右するとして、この場合、その言葉に囚われていたのは、父親ではなくむしろA氏の方ではなかったろうか。
(同)
手紙の主は作家に、自分にとっては不可解な父親の死が、人間心理に長けた作家ならわかるのではないか、気づいたことがあったら教えて欲しいと書き寄こしていた。その依頼を果たす作家の文章で小説は終わる。作家は手紙の主(A氏)の父親の自殺は彼固有の観念に従ったものであり、A氏にはなんら責任がないと書いている。また『その言葉に囚われていたのは、父親ではなくむしろA氏の方ではなかったろうか』とあるように、A氏の『お父ちゃんは乃木大将とおんなじだね』という言葉は父親の中に元々あった観念に形を与えただけであり、その言葉が父親を自殺に追い込んだわけではないという考えを示している。
漱石の『心』との類似点をいくつか指摘したが、『夜蜘蛛』は『心』で表現されていた観念を踏襲しながら、解体・再構成するという意味でのポスト・モダン的テキスト批判小説ではない。田中氏が『心』から受け取ったのは、人間の死は不可解だというメッセージだけだと言っていいだろう。またそれが『夜蜘蛛』を最後まで読ませる力になっている。
人間の死は、特に自死は残された近親者にとって重大事である。乃木将軍にならって昭和の終わりと共に自死するA氏の父親は、極めて特異な心性の持ち主だろう。後追いする息子も同様である。しかしその特異さは自殺の衝撃によって相対化される。人がなぜ自死を選ぶのか、その本当の理由は誰にもわからないからである。恐らく本人にすらわからないだろう。そのわからなさを、わからないまま小説化したのが『夜蜘蛛』である。
『夜蜘蛛』というタイトルは、『夜蜘蛛は親に似ていても殺せ』という俚諺から取られている。手紙の主のA氏は、子供の頃、防空壕の中で大きな蜘蛛を見た。それを握りつぶしておけば、父親の身代わりになったのではないか、父は自死しなかったのではないかと自問している。しかしそれも父親の自死を巡る後付的な解釈(悔恨)に過ぎない。自死の理由は言葉をすり抜けるのである。
田中氏は未知を未知のまま、不可知を不可知のまま描いている。その意味で田中氏は人間の死を巡る小説を量産できるはずである。ただその先には進まないだろう。それが純文学だと言うのなら、その通りかもしれない。確かに死は客体化できない。言語にして説明できるものではない。誰にとっても不可知の死を相対化するためには、文体を変えるしかない。一人称で語り続ける限り、物語は堂々巡りし続ける。
この堂々巡りを肉体的な快楽として感受できる方は、『文學界』の良き読者であり、未来の書き手にもなれるだろう。膨らみのないザラザラとした田中氏の文体は伝統的な私小説作家のものだ。恐らく詩というものに全く興味を抱けないタイプなのだろうと思う。ただ詩的な私小説を書いても同様のことが起こる。もちろん『文學界』に愛されるのは、田中氏のように詩的要素を排除した作家である。
大篠夏彦
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