アテクシ、いわゆる文体の美しさ、素晴らしさをあんまり信用しておりませんの。小説の文体が素晴らしいと感じられる時は、内容と物語構造のバランスが取れている場合です。少なくともモノみたいにそれ自体を取り出して評価できる文体というものは存在しませんわね。よく賞の選評で「文体が素晴らしい」と書いてありますがあれは逃げよ。○○だから文体が素晴らしいのであって、○○を特定する批評能力がないだけのことですわ。
ただ単純に古いなーと感じる文体ってあります。風景描写から入って人物の服装、顔立ち、登場人物も右に倣えの描写が続いてそこに心象風景が織り交ぜられる。そんでようやくのこと会話が始まる。小説って主人公に他者が絡んで来ないと物語が進みませんからね。でもその場合でも主人公の心理描写が長々と続く。他者の言葉は主人公(私)の心理トリガーでしかなく、あくまで私の心理が延々と続いてゆくのですね。
こういった小説文体はやっぱり古さを感じてしまいます。要するに「こちとらそんなヒマじゃねーんだよ」と言いたくなってしまうのです。あ、はしたなかったですわね。
最近では音楽のヒット曲がイントロなし、サビ先出しが主流になっています。これはまあ流行ですから一巡してイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」みたいにいつまでイントロが続くねんという曲がまたヒットするかもしれません。ただ世の中がスピード重視になっているのは確かですわ。その理由は受容しなければならない情報が膨大にあるから。小説なんていう古典的表現はそれとは無縁に、ゆったりまったり読んで欲しいと願う作家様やそれを好む読者もいらっしゃるでしょうが情報量が膨大に増え続けてゆく現代社会ではもはや風前の灯火じゃないかしら。
バイクが好きだ。雨の雰囲気も悪くない。だが、同時となると地獄だ。特に冬の京都は。
底冷えする中を走るだけでも辛いのに、雨に叩きつけられ、一瞬ごとに体温が奪われていく。いつの間にか破れていた右手袋は中までぐっしょりだ。冷たいを超えて、皮膚を斬られるような痛みすらある。
もはや気合いと根性でどうにかなるレベルじゃない。走り出したばかりだが、コンビニを見つけて、そちらへハンドルを切った。
桃野雑派「指名手配」
桃野雑派さんの文体は簡潔で疾走感があっていいですわね。主人公は「俺」です。ただし「俺は」という自己言及は最小限しか使っておらずほぼ俺が見聞きした情景と心象描写になっています。引用はお作品の冒頭ですが、出てくるのはバイク、雨、冬、京都、破れた手袋、コンビニです。これらはすべてお作品の中盤から後半に重要な要素として繋がってゆきます。
冬の雨の冷たさに負けて俺の疾走するバイクが止まった、止めざるを得なかった。俺は寒い、凍えざるを得ない。京都はいわゆる〝いけず〟の表象でもあります。計算された記述ですが小説的無意識でもあるでしょうね。
「やっぱりそうですよね。あの人、間違いありませんよね」
女の子の口調は、こんなときでもどこか嫋やかだ。なのに緊張感があって、ちぐはぐさに軽く混乱しかける。
「ええ、逃げた方がいいかも」
濡れるのを覚悟して、バイクへ向かう。体がつんのめって、振り向くと、女の子が俺の服の裾を摑み、小刻みに顔を左右に揺らしていた。
「警察来るまで、一緒に見張ってもらえませんか? さっき電話したんで、もうそろそろのはずなんです」
嫌に決まってる――言葉は飲み込めたが、露骨に顔に出てしまい、女の子が棄てられた小犬のように見上げて来た。
「なんかあったら、私一人やと、どないしようもあらへんですし、お願いです、いっしょにいてくれるだけでええんです。それだけで、抑止力になる思うんで」
同
俺はコンビニで温かいお茶を買おうとして金がないことに気づき、夕刊だけ買います。お茶を買うとスーパー銭湯に宿泊する金が足りなくなるのです。夕刊は読むだけでなくタオルと防寒具に活用しました。
店を出ると女の子が声をかけてきます。「女子高生ほど幼くないが、社会人にも見えない。おそらくは二十歲前後だろう」「美人とも可愛いとも形容できる顔立ちで、化粧次第で好きに印象を変えられそうだ」とある。
その子がコンビニ前の喫煙所でタバコを吸っている男は指名手配犯で、もう警察に連絡したのでパトカーが到着するまでいっしょにいて欲しいと俺に懇願します。トラブルに巻き込まれたくないのですが俺は女の子の言葉を無下に断ることもできず「わかりました。俺でよければ力になります」と言います。スマホで調べると報奨金三〇〇万円とあったのもその理由です。女の子の頼みを聞けばいくばくかの報奨金を分けてもらえるかもしれないと思ったのですね。
「この後、別に用事あらへんのですよね?」
「ええ、まあ・・・・・・さっきも言ったように、スーパー銭湯で、一晩過ごそうかなと思ってただけですから」(中略)
腰の奥がぞくりとした。
見れば、さわさわと女の子が俺の腰を撫で回していた。
もしかして、本当に誘われている・・・・・・のか?(中略)
馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたくなる反面、期待してしまう自分もいる。
つきが回ってきた・・・・・・ってことなのか?
「あの・・・・・・ちゃうとこっていうのは、どこのことなんですか?」
桜色の唇が、鼓膜をくすぐるような声を紡いだ。
「留置場です」
瞬間、周囲から音が消えた。
同
指名手配犯は駆けつけた警官たちに拘束されコンビニを出て行きます。用が済んだ俺はバイクに向かおうとしますがそれを女の子が引き留める。スーパー銭湯ではなく「今日はちゃうとこにしませんか?」と言ったのです。俺は「もしかして、本当に誘われている・・・・・・のか?」と思いますが、どこに行くつもりなのかと尋ねると女の子は「留置場です」と答えたのでした。
詳細は実際にお作品を読んでいただければと思いますが、この後、俺は地獄を見ます。女の子は指名手配犯を見つけただけでなく、シャーロック・ホームズ張りの洞察力で俺のことも観察し、俺の過去と現在すべてを暴いてゆくのです。軽い気持ちで軽い人助けをした俺の行動が全て裏目に出てとことん追いつめられる。
「指名手配」は物語展開にスピード感があり、どんでん返しもある読んでいて楽しいお作品でございます。ただ桃野さんのお作品にはちょっとした癖がございますわね。イノセンス=無垢の強調ですわ。俺と女の子は最初無垢な存在として現れます。物語が進むにつれそうではないことが露わになるわけです。小説前半が白だとすると後半で黒になるわけですが、灰色の繋ぎの部分がちょっと弱いような。登場人物の性格が二分されてしまっているような印象がなきにしもあらずですわ。
でも「指名手配」に登場した女の子は魅力的ね。30から50枚くらいの短編ですが、短編一作で消費するには惜しい女の子でございます。
佐藤知恵子
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