今回と次回の2回にわたって、第5句集『密母集』の原型となった未刊句集を取り上げる。安井氏は昭和49年(1974年)・38歳の時に第4句集『阿父学』を刊行したが、第5句集『密母集』が刊行されたのはそれから5年後の54年(79年)・43歳の時である。しかしそれ以降、安井氏は句集を量産し始める。56年(81年、45歳)の『牛尾心抄』、57年(82年、46歳)の『霊果』、58年(83年、47歳)の『乾坤』、59年(84年、48歳)の『氾人』と、4年続けて句集を刊行している。
『阿父学』から『密母集』に到る5年間に、安井氏が自己の俳句創作方法についてある確信を得たのは間違いないだろう。量産体制が整ったのである。また第4句集『阿父学』から第9句集『氾人』に到る10年ほどは、金子弘保氏を中心とする『お浩司唐門会』と安井氏の交流が最も密な時期だった。その様子を『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍掲載のエセーで、唐門会の中核メンバーだった酒巻英一郎氏は次のように回想している。
「唐門會」は金子の物心兩面に亙る支援なくしては語れないが、その存在意義において特筆すべきは、『阿父学』以降の安井俳句世界の廣陵たる精神沃野の指針を、安井ともども決定してきたといふ一點にあつたと斷言してよからう。その一例として、當時中國チベット自治區の一層の開放に伴ひ、(中略)ほとんど鎖國状態にあつたチベット佛敎が、經典の紹介とともにいちどきに一九六〇年代後半の文化状況に雪崩れ込んできた。安井浩司がそれまで親炙してゐたのは東密、臺密の日本密敎。そこにタントリックな後期密敎が移入された。(中略)『佛教聖典選 第七卷 密教経典』(昭和五十年、読売新聞社刋)所收の岩本裕譯「パルナ=シャバリー陀羅尼」および「孔雀明王経」。また一連の翻譯に先立ち、いち早く「祕密集會(グヒヤ・サマージヤ)タントラ」を紐解いた酒井眞典『チベット密教教理の研究』(昭和三十一年、高野山出版社)の金子による紹介。この卷中の「小便にして芳香、母にして娼妓」なる一章をいくたび講義賜つたことか。以上三典が『密母集』の背後において生命力の十全な豐饒さを形づくつていく。『赤内樂』にはじまる對幻想、性愛幻想が女性性力(シャクティズム)を得てあらたな昇華を果たした一瞬であつた。
(酒巻英一郎『ねだりの梵―わがお浩司唐門會(ゑ)』)
酒巻氏のエセーから、『密母集』上梓前後の時期に、安井氏がチベット仏教(密教)に深く親しんでいたことがわかる。『密母集』『後記』の『本書が成立する契機は、(中略)ふとしたことから葉衣自在菩薩(パルナ・シヤバリー)に出会ったことによる。それは、つねに葉の衣をまとった山中の卑なる女(め)にして、だが会うほどに陀羅尼優語、かけがえのないわが密母であった』という安井氏自身の言葉もそれを裏付けている。安井氏は以前から日本の密教に親炙していたが、唐門会のメンバーに導かれるように、その源泉と言うべきチベット仏教の世界を知ったのである。
詩人・鶴山裕司氏の論文の孫引きになるが、日本の短歌(和歌)・俳句(俳諧)の歴史には大きな断絶がある。正岡子規が鋭敏に気づいたように、『万葉集』の短歌は極めて俳句に近い。冷酷なまでの裸眼で世界を見つめ、景物(モノ)によって心情を表現しているのである。これに対して平安短歌は想像的である。自己と他者、モノとモノの区別が曖昧になり溶解するような濃密な想像空間の中から新たな関係性を創造しようとする。そこには平安時代に貴族たちの心を深く捉えた仏教の影響がある。そしてこの時期の仏教は密教だった。彼らは釈迦の来迎をまざまざと幻視するように恋い焦がれる人を思い、自己の内面に沿って現実を再構成した。平安期の短歌は『夢の浮き橋』とでも言うべき想像空間に属している。
しかし平安末から鎌倉時代になると短歌的想像空間は変わり始める。新たに禅宗が流入して人々の心を摑んだのである。平安短歌の掉尾を飾るのは子規が高く評価した源実朝である。彼の短歌は徹底した客観描写であり、それは写生俳句の手法とほとんど変わらない。密教的文学はその後も日本文学で生き続けるが、鎌倉以降の日本的文化の基盤は禅宗に置かれることになる。子規や夏目漱石といった禅的心性を持つ文学者の作品が主流になるのである。日本独自の小説形態である私小説も禅系文学だと言えるだろう。飛びきりのインテリたちが自らの愚行を赤裸々に綴るのは、禅的現実絶対客観描写がどこかで救い・悟りに繋がるという思想があるからである。これに対して密教的文学は日本文学では鬼っ子のようにときおり現れる。宮沢賢治や中上健次といった作家たちである。
わたしたちが短歌といってまず思い浮かべるのは藤原定家選の『百人一首』であり、それは『古今』『新古今和歌集』の世界である。しかし子規が激しく紀貫之を批判したように、『古今』『新古今和歌集』の想像空間文学を日本文学の基層に据えるのは必ずしも正しくない。文学史を検証すれば明らかなように、日本文学は『万葉』から平安時代の密教的文学を経て、実朝の客観写生短歌(禅的文学)に揺り戻っている。鶴山氏が『室町時代に発生した俳諧は短歌の究極的な自己革新である』と書いているのは一つの見識だと思う。賛否両論あるだろうが、少なくともそれぞれのジャンルの源泉にまで思考を遡らせなければその本質は捉えられないだろう。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、唐門会所蔵の安井氏未刊句集で原(ウル)『密母集』と呼べるものは5冊ある。『阿賴耶抄』『伽藍抄』『裏庭抄』『奈落鈔』『明母鈔』である。今回取り上げるのは『阿賴耶抄』である。全213句が収録されている。半分弱の96句が第5句集『密母集』に収録され、4句が第7句集『霊果』に収録されている。残り113句は未発表句である。手製の保存箱入りで、箱に捺されたスタンプから昭和52年(1977年)1月4日に制作されたことがわかる。安井氏41歳で『密母集』刊行の2年前に当たる。『伽藍抄』から『明母鈔』の4冊が原稿用紙を束ねた小冊子であるのに対して、『阿賴耶抄』は前回紹介した『涅槃學』と同様、1冊の句集の意識で作られている。安井氏は『阿賴耶抄』を手始めに『密母集』を練り上げていったのではなかろうか。以下に『阿賴耶抄』と『密母集』『霊果』の収録句対応表を掲げておく。
『阿賴耶抄』は章分けされていないが、『密母集』の『拾遺』から『秘密』に句が集中している。つまり『阿賴耶抄』執筆時に『密母集』前半部の句はほぼ固まっていたが、『奈落抄』から『孔雀杳冥』の後半部はまだ書かれていなかったことになる。従って『阿賴耶抄』成立から『密母集』刊行までの2年間は、句集後半部を作り上げることに費やされたことになる。また『密母集』は『密母』という言葉や章タイトルの『秘密』『奈落』『歓喜妻』『杳冥』などの言葉からわかるように、濃厚な密教的・秘教的雰囲気を漂わせた句集である。その原点になったのが『阿賴耶抄』であり、『阿賴耶』はもう密教用語の中枢そのものである。句の検討は次回行うことにして、ここでは『阿賴耶』について簡単に考察しておく。
『阿賴耶』は唯識哲学用語で人間心理の最深層領域を指す術語である。唯識は阿賴耶識が意識として認識できる人間心理の最下層だと考える。阿賴耶識の下層は絶対不可知の無の領域である。この阿賴耶識で生成されるのが『種子』(しゅうじ)と呼ばれる意味形成要素・意味可能体である。この段階では存在はまだ言語化されていない。種子は民族・宗教などによって異なる存在文節の方向性を形成するのである。次いで種子はヨーロッパ心理学でいう無意識領域において、存在の様々な元型イマージュを創出する。この元型イマージュは言語化可能だが、現象界(現実世界)に存在するものばかりではない。神的存在から魑魅魍魎に到るまでありとあらゆる存在を含む。この中の即物的イマージュが現象界に存在する事物と結びついて、木や石といった言語に定着されるのである。
安井氏が原(ウル)『密母集』の句集タイトルに『阿賴耶』という言葉を選んだことは、彼が現象界(現実界)の深層に存在する、存在の元型的イマージュを表現しようとしたことを示唆している。安井氏は句集『汝と我』(昭和63年[1984年])の『後記』で『齢五十二、はや絶対言語への信仰が始まっていることを隠すわけにはいかない』と書き、それは『新しいアニミズムの意志と、汎生命的なものの主宰性を呼吸しようとしていること』だと説明している。安井氏の『絶対言語』をヨーロッパ哲学・文学的な文脈で読み解くことはできない。それは極めて東洋的、あるいは密教的な存在深層への遡行である。またそれは、安井氏が俳句文学において極めて特異な作家だということを示唆しているだろう。
『古今』『新古今和歌集』が日本文学における密教的文学を代表しているように、禅的文学を代表するのは芭蕉である。芭蕉の『古池や蛙飛びこむ水の音』という純粋客観描写生文学が今に至るまで俳句文学の基層となっている。それは子規の唱えた写生俳句が、現在もなお俳句の主流であることからもうなずけるだろう。しかし安井氏は禅的客観文学である俳句に密教的方法論を持ち込んでいる。安井文学は意外なほど宮沢賢治の文学に近しいかもしれない。二人とも東北で生まれ、東北に留まることになった文学者である。
岡野隆
■ 『阿賴耶抄』外箱 表裏 ■
■ 『阿賴耶抄』本文 ■
【未刊句集『阿賴耶抄』書誌データ】
手製の保存箱入り。本は市販の芳名帳のようなものを使用しているのではないかと思われる。本文は二つ折りの和紙で28枚、56ページ。表紙の題箋は墨書。句は恐らくマジックで書かれている。全213句を収録。後に第5句集『密母集』(昭和54年[1979年])に収録される句が96句、第6句集『霊果』(57年[82年])に収録される句が4句あり、残り113句は未発表句。保存箱のスタンプから52年(77年)1月4日に制作されたことがわかる。安井氏41歳で、『密母集』の刊行2年前の作品である。
【未刊句集『阿賴耶抄』全文】
阿賴耶抄 安井浩司 百漏舎版
沖の岩が昆布を養い終るらん
鳥海山をのぼるに手から玉消えて (⑤『密母集』『同異抄』)*1
白蛇へちかづく莨火の涅槃那も (⑤『密母集』『同異抄』)
河骨や天から落ちくるかんなくず
ふるさとの一字の僧侶が麦の中 (⑤『密母集』『同異抄』)
枯蓮にヴァイオリンは来つつあり (⑤『密母集』『拾遺』)
ふるさとの蛇の気(け)の水湧くばかり
少年の兜をぬらしている終湯に
校庭に法華も雨のべんとうも
箒木へにしんも法華も消えゆけり (⑤『密母集』『同異抄』)*2
校庭の法華の馬もさるすべり (⑤『密母集』『同異抄』)
青鷺から産れし顔へ鼬来る (⑤『密母集』『拾遺』)*3
土塀をゆく先師の首に赤蛇よ (⑤『密母集』『拾遺』)*4
春の猿逃げてゆくのだ姉の家 (⑤『密母集』『拾遺』)
白蛇の変化(パリナーマ)だやひるの川 (⑤『密母集』『同異抄』)
巨人はときに発作を起す蕗の薹 (⑤『密母集』『同異抄』)
姉もまた絵馬にさわり嫁ぎゆく
ふところへ毬帰りくるや二重星 (⑤『密母集』『同異抄』)*5
栗の花おみなは人を孕むらん (⑤『密母集』『拾遺』)
西方の椎も柴にゆうひばり (⑤『密母集』『同異抄』)
二階から落ちしヴァイオリンも存在せず (⑤『密母集』『同異抄』)
姉の手を嗅ぎし狒狒も失せにけり
ヴァイオリンより低くうごく庭石や
晩春にとどまれなくなる扉猫 (⑤『密母集』『大鴉』)
発狂するに誰も来たらず竹の花 (⑤『密母集』『大鴉』)
遠泳やさくやは蛇の盗まれし (⑤『密母集』『大鴉』)*6
夕焼へ地の昆布のまま立てる人よ (⑤『密母集』『大鴉』)
拝殿からしやくとりむしのまま帰る (⑤『密母集』『歓喜妻』)*7
麦秋の大工は蛇を地に投げる (⑤『密母集』『拾遺』)
春の雁甲板に膓(わた)が流れたり
夕空を焼く少年も毛となれり (⑤『密母集』『拾遺』)
藤蔓にみろくの喉は細きかな
うしろから近づく岩へ浄瑠璃も (⑤『密母集』『拾遺』)
世阿弥忌の殴(う)ちし馬に乗りはじむ (⑤『密母集』『拾遺』)
暮方の万歳おそろし谷の空 (⑤『密母集』『拾遺』)
二階から始まる道よおきなぐさ
向日葵やおみなは砂へ沈みゆく (⑤『密母集』『奈落抄』)
薄明に入りゆく川のあぐら湯よ
どれも三寸の丸屋(まるや)の捨て湯かな
夕空を泣きゆくわれらの刺股よ (⑤『密母集』『拾遺』)
冬菜畠に抱けば浪魔の京という
雨野にころぶ人ふところに蛇有りや
校庭に蛇遊びして玉となりぬ (⑤『密母集』『拾遺』)
水蜘蛛をうかべる子宮(みや)の外の秋 (⑤『密母集』『大鴉』)
椎の木のはるかはるかに凝れる虎よ
蛇山のあゝこおとこの涅槃かも
小学校裏にすこし膓(わた)を出す春 (⑤『密母集』『拾遺』)
藤の実に少しみえたるけさの我 (⑤『密母集』『拾遺』)
鉄敷(かなしき)へ火を見る蔦が漂えり (⑤『密母集』『同異抄』)
あじさいに隣家の蛇の匂いかな
死鼠や遠いぶらんこの梵ならん
夕空に眼の残りたる蛇苺
昼庭(ひのにわ)を去る旅人も蛇ならん (⑤『密母集』『同異抄』)
睡蓮がかたり生える西も妻 (⑤『密母集』『同異抄』)*8
夕空へ蕎麦の高さの法華妻 (⑤『密母集』『同異抄』)*9
姉よむらさきの牛を兜の辺に
禾(のぎ)にひそみささらの鶏をまつ怖れ
洪水が夕空を過ぐ蛇苺
神殿に蝉にぎる手のむらさきや
姉転ぶかの蛇山の晴れるやに
遠い煙が白瓜抱いて昇るらん (⑤『密母集』『拾遺』)
旅人が蕎麦を落した日野の川
犬つるみはじむ二番星の下
汝が瓜をひらけば日野の水溜り (⑤『密母集』『同異抄』)
赤松にのぼれば沖の褻器(まる)はるか (⑤『密母集』『同異抄』)
白馬の長尾にかくれる陰ならん (⑤『密母集』『同異抄』)
こがらしの醤蝦(あみ)の佃煮かぶる者よ
青葱の絶頂のまま往ける者よ
青蓮華ふいにわれらの猫となる (⑤『密母集』『秘密』)
椎の丈はげしく心やける弟子よ
水晶が流れそめたる冬の谷
赤松に蛇現われず秋の暮 (⑤『密母集』『秘密』)
赤松こそ廻転しつつ生えゆく夜 (⑤『密母集』『大鴉』)*10
白牛は多毛の陰をよろこびぬ
椎の名のはるかな一人が自転せり (⑤『密母集』『大鴉』)*11
空海忌毛が流れきて生えはじむ
睡蓮や僧侶はうすき膜である (⑤『密母集』『同異抄』)
ふるさとの火事に映えゆく芭蕉かな
校庭に膓(はらわた)を放つさるすべり
苺熟るゝあれは姉の溢れ水
枯蓮は日霊(ひる)のごとくに明るけれ (⑤『密母集』『大鴉』)
砂山を預流果(よるか)のごとく歩みけり (⑤『密母集』『大鴉』)
蓮掘人がはるかな池の卍より
椎の実ばかりが地上の蛇を養いき
桜蔭婢はやまどりを変(な)りにけり
藪入やわが「蛇」の字のかけじくに (⑤『密母集』『大鴉』)
片蔭に隠者の母のやさしさよ
日蔭蔓かの母を地に投げる者よ (⑤『密母集』『大鴉』)*12
大鴉かの頭韻こそは毒ならん (⑤『密母集』『大鴉』)
おがくずと無数の斑猫もやしける
北窓に宇宙の塩や赤とんぼ
菫をぬいゆく犬の頭に大火三(み)つ
夕空を昇るにわれらのいとどかな
狂人とは柱の菌糸のひとならび
顔眞郷をかくあかつきの犬狩か
縞蛇がときどき帰る丸岩に
晩春や欄間に蛇の生えそめし (⑤『密母集』『大鴉』)*13
少年が水へかぶさる呉服かな
空海忌けむりをのぼる欲望が
見えないが松の上の鬼やんま (⑤『密母集』『大鴉』)*14
いらくさにかがむ旅人の乳房だろうか
旅人のふと日野の穢のくるぶしか (⑤『密母集』『同異抄』)
冬犬を裂く塚本の郷である。
青空を物ながれきて猿の終り
苗を砂丘のゆき違いこそ法華妻
冬空に照らさるわれらの凡兆よ
校庭のひるの槇より死人(しびと)でる (⑤『密母集』『大鴉』)
阿父學を遂にひらけば遠の小火(ぼや)
狂人とは榎の上の日の曲り (⑤『密母集』『秘密』)*15
夏草やふと蒼白な炉(いろり)浮き
穢の母にやどる人なら粒いちご (⑤『密母集』『秘密』)*16
蓼の花横にさびしき犬の妻 (⑤『密母集』『秘密』)
葛の花さそりはおみなを噛みおらん (⑤『密母集』『秘密』)*17
日下部と呼ばれるすすきの中の友 (⑤『密母集』『同異抄』)
夏草や蛇の柱を入れる家 (⑤『密母集』『秘密』)
夕空に蛇も学者もよもぎぐさ
古本屋猫が啖らえる白牡丹
黒猫放つ人のうしろの丸山こそ
夏谷深くむらさきのまま眼の終り
夕空に麹を背負えば渦ひとつ (⑤『密母集』『拾遺』)
蓮根よ火事ははるかの二階より
北空へ水流れゆく欄間かな
空海忌かのかけじくへ嫁ぎゆく
重(かさね)とは蒼穹に散るさるすべり
ひるがおの花の深さに姉の家 (⑤『密母集』『秘密』)
黒牡丹庭から海へ歩み去る (⑤『密母集』『秘密』)
犬噛み合うかの永延のさるすべり
春の空鴉の子宮を閉じるべし
夏の海ふとヴァイオリンの妊娠へ (⑤『密母集』『大鴉』)
ピストルに日蔭の蛇を招くのみ
白桃の隙よりみえる種なれや
ひるがおにかの甲板も女(め)なりけり
遠泳や振りかえるとき蓼に母 (⑤『密母集』『歓喜妻』)
日曜の校庭を蛇よぎるのみ
濁湯へ双手を入れて抱くおみな
春の海蛇現われて消えにけり
大麦は穂にヴァイオリンの上の蛇 (⑤『密母集』『歓喜妻』)
北空や梁より糸が垂れること
雨空に白の微妙(みみょう)の猫である (⑤『密母集』『秘密』)
盛土に生えたる百済の白蜜柑 (⑤『密母集』『大鴉』)*18
青草を噛みつつ大工は夢殿へ
幼年やすぎなをよぎる蛇の妻
法華寺の空から垂れる蛇の妻 (⑤『密母集』『秘密』)
ピストルも小蛇も春へ帰りゆく
命(めい)としてふるさとに立つスルメの姿 (⑦『霊果』『無窮抄』)
春の海筒執りなおして発砲す (⑤『密母集』『秘密』)
黒松は貘の言語へ近づきぬ (⑤『密母集』『秘密』)*19
法華寺の蛇も前兆(シーニュ)に堕ちるべし (⑤『密母集』『秘密』)
蛇苺牛にからくさの痕跡よ
ふる水におみなをひらけば閼伽(あか)である (⑤『密母集』『秘密』)*20
遠足やふと馬太傳をにぎりけり (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*21
空海忌汝がふくらはぎに妊(みごも)れり (⑤『密母集』『奈落抄』)
悲しみのやがて地震の野鴨かな (⑤『密母集』『秘密』)
母を訪うふと蒼穹の蜘蛛なりけり
空海忌この白猫のごときもの
象潟にかがみ白瓜破るあきかぜ (⑤『密母集』『歓喜妻』)
日枝の家ふいにスズメをなぎたおす
遠浅に溺れるおみなを看破らん (⑤『密母集』『同異抄』)
夕空の眼はかまきりに掻かれたり
その人が荒山(あらやま)である白瓜畠
青山椒姿に極度の苦を感ず
夕空に麹は我を発見せり
雨空と接ぎ木のそばの少年や (⑤『密母集』『秘密』)
空海忌ひるの貸家に鷹を飼う (⑤『密母集』『奈落抄』)
自転車の荷台の法華もさるおがせ (⑤『密母集』『同異抄』)
あじさいの玉少年はみな家に
夢の囲(い)の蜘蛛は眇(まなこ)をかけめぐる (⑤『密母集』『古春や』)*22
浄瑠璃に生えたるわれらの赤松よ
芭蕉葉をもてふるさとの湯を裂けり
常闇にかがめばおみなほたるいか (⑤『密母集』『大鴉』)
夕暮のかわらひわをみな破門 (⑤『密母集』『秘密』)*23
睡蓮に照らされ阿闍梨となる友よ
まらるめに蛇を投げたる男かも
空海忌妻に小蛇を孕ませき
赤毬を投うれば現れくる小蛇かも
盂蘭盆会未ださそりは現われず
黒竹に犬歩みきて妻となる (⑤『密母集』『奈落抄』)
日月の狂女の陰(ほと)は来つつあり (⑤『密母集』『秘密』)*24
少年の猫の脳ほどうまごやし
松島の夕空の眼が泣きゆく土へ (⑤『密母集』『同異抄』)
夕空となる一本の毛も泪
片蔭の母にぞ巨きほととぎす
日野の一本足もやってくる夏井戸よ
母の家またヴァイオリンの盗まれし (⑤『密母集』『秘密』)
夕空を白猫飛んでゆくらんに
ヴァイオリンとなりゆく犬よ柿の薹 (⑤『密母集』『奈落抄』)
空蝉のふと空をゆく道筋かな
縞蛇よぎるあれが色(しき)の完遂者 (⑤『密母集』『秘密』)
少年や悉達多(しつたるた)なら笹の中 (⑦『霊果』『無窮抄』)
庭師のごとく家を去るのだ箒草 (⑤『密母集』『奈落抄』)
高星にかの処女牛を見るやみな (⑤『密母集』『古春や』)
ふるさとの道にかなしき馬勃(ばぼつ)かな
蜥蜴にかがみ非存在と言い初めき
麥秋の厠ひらけばみなおみな (⑤『密母集』『秘密』)
我をよぎる蹄の音よ赤松よ (⑤『密母集』『秘密』)
凡兆も死後の茨を抱きおらん
箒ぐさわれらは海へ庭を追う (⑤『密母集』『孔雀杳冥』)*25
君ときて東寺に散れる揚羽かな
その人がかみきりむしの密(みつ)である (⑤『密母集』『歓喜妻』)*26
野鼠に跼める母も浄められんか
梔子や水よりおみなは這い来たる (⑤『密母集』『歓喜妻』)
老い母をふかく天より覗く鳶 (⑤『密母集』『歓喜妻』)
棉買人が落し去った無窮の猫 (⑦『霊果』『無窮抄』)
吹越へかかるおみなの犠(いけにえ)くさしや
旅人や日野椀くだるひるの川
夾竹桃犬はおみなと噛み合える
少年や穢語はすぎなを歩み来る
砂山のうしろにあんらじを観る者よ
白牛は一毛に帰れと叫びけり
歓喜地の母にさそりの生えそめし
ひるの木の高い牛を死なしむる
蛇消えてすすきに現るる日枝の妻
おおばこぐさに日枝の神社と叫びけり
52.1.1 お浩司唐門会(雅印)
【註】
* 句の後に収録句集名と章を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『鳥海山』は『月山(がつさん)』。
*2 定稿では『にしんも法華も』は『法華もにしんも』。
*3 定稿では『産れし』は『産まれし』。
*4 定稿では『先師』は『老師』。
*5 定稿では『ふところへ』は『ふところに』。
*6 定稿では『盗まれし』は『盗まれて』。
*7 定稿では『拝殿』は『夢殿』。
*8 定稿では『睡蓮』は『岩蓮華』。
*9 定稿では『高さの』は『高さも』。
*10 定稿では『赤松こそ』は『赤松は』。
*11 定稿では『自転せり』は『廻転し』。
*12 定稿では『日蔭蔓』に『ひかげかづら』のルビ。
*13 定稿では『蛇』は『さそり』。
*14 定稿では『松』は『榎』。
*15 定稿では『曲り』は『曲がり』。
*16 定稿では『いちご』は『苺』。
*17 定稿では『さそり』は『蠍』。
*18 定稿では『盛土に』は『校庭に』。
*19 定稿では『黒松は』は『黒松へ』、『言語へ』は『言語も』。
*20 定稿では『ふる』は『古』。
*21 定稿で は『傳』は新字の『伝』。
*22 定稿では『囲(い)』にルビなし。
*23 定稿では『ひわ』は『つぐみ』。
*24 定稿では『陰(ほと)』のルビなし。
*25 定稿では『黒牡丹われらは海へ卑女(いね)を追う』に改稿か。
*26 定稿では『密(みつ)』にルビなし。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■