皆さん江戸時代の幽霊画は見たことがございますぅ? 「うーらーめーしーやー、どろどろどろぉぉっ」といふ感じで女の幽霊が描かれている軸でございます。けっこうな数が残っているので人気があったようです。円山応挙の幽霊画が有名ですが、まあたいていは町絵師が小遣い稼ぎに描いた絵ですわ。一説によると魔除け的な護符の意味があったとか。ご主人が留守で家に女しかいない時に床の間に掛けておくと、泥棒が見て驚いて逃げ出す効果があるという話も聞いたことがあります。
記憶が曖昧なのですが、だいぶ前に確か東京藝術大学美術館で三遊亭圓朝展だったか幽霊画展が開催されていました。アテクシ、上野に用事があったついでにちょいと覗いたのですが、圓朝さん旧蔵のコレクションがかなり展示されていたので興奮しましたわ。名作『牡丹灯籠』の作者でござーます。
で、圓朝さんの幽霊画のコレクション、いわゆる骨董古美術的価値のあるものはほとんどありませんでした。怪談話がお好きで新作落語を作るほどだったわけですが、資料として集めておられたんでしょうね。作家はそれでいいわけです。
この圓朝さんの落語の口演記録が、二葉亭四迷や坪内逍遙らが言文一致体を生み出す際に活用されたことはよく知られています。二葉亭はロシア語が、坪内さんは英語が得意でしたからツルゲーネフなどの翻訳が大きなヒントになったわけですが、その日本語ローカライズの具体例として圓朝さん口演記録が活用されたんでしょうね。
偶然と言えば偶然なんですが、落語口演記録が明治の新しい言文一致体のヒントになったのは面白いですわね。落語が成立したのは江戸時代になってからですが、その前から語り物芸が続いていたのは言うまでもありません。圓朝さんは伝統落語の名人ですが数々の新作落語名作を遺しました。言文一致体も同じよね。新しい書き方ですが日本語表現の延長上になければ根付きません。
言文一致体はじょじょに書き文字化していって今では目で文字を追うのが当たり前です。ですがその始まりには声の文字化という側面がありました。『牡丹灯籠』などの怪談モノは特にそうね。平明で物語が直線的でビジュアルが浮かぶような構成でなければ聞き手(読み手)は怖がってくれません。小説に即せば怪談モノは文字的な意味と構成の恐さで読者を納得させる方法と、声に近い平明さを重ねてビジュアルで怖がらせる方法があります。両者がバランス良く配分されていれば傑作ということになりますわ。
先に書庫に入った先生は、書架に並んだ本を目にするなり、途端に目を輝かせた。
収められている本を見ても良いかどうか、現在の持ち主である滝本翔也さんに確認することさえしないまま、次々に手に取っていく。
こういうとき、先生はけっしていきなり本を開くようなことはしない。まずは本をくるくると回し、さまざまな角度から外形を眺める。表紙やカバーや帯がきちんと残っているか。カバーを外した下にある表紙の材質、状態。本文の紙と表紙に使われている紙とが、どのように製本されているか。
ひととおりそれらを確かめると、必ずいちばん最後のページを開く。刊行情報が描かれている奥付を見るためだ。そこに印字されている文字を一つずつ丁寧に拾うようにして読んでからいったん本を閉じ、表紙に戻る。
大橋祟行「櫻花燈籠」
大橋祟行先生の「櫻花燈籠」の主人公は図書館司書の麻美です。父親が書誌学者だったこともあり大学で下諏訪先生に学び図書館司書になりました。交流は続いていて滝本総合病院の理事長・弘が亡くなったので、先生といっしょに蔵書の整理に出向くことになったのでした。書庫は病院の地下にあってそこには弘の祖父・富貴のコレクションも収められています。珍しい本や資料があるということですね。
大橋先生は近代文学の研究者でもいらっしゃるので書誌学にもお詳しいようです。なるほど書誌学者はこんなふうに本を整理してゆくのかという情報満載です。また「櫻花燈籠」はそのタイトル通りホラー謎解き小説ですから病院の地下というもの設定としては定番です。伏線になっているのはもちろん『牡丹灯籠』です。
「この絵、芳鳥が描いたものじゃないかというんですが、いかがでしょう?」
先生は「えっ?」と、目を瞠って問い返した。咲良さんの言葉が、意外だったようだ。
「どうでしょうね。もし芳鳥だったら、面白いと思いますが」
幽霊の姿に視線を走らせながら、先生は呟くように答えた。たしかに和紙はだいぶ焼けていて、古い絵のように見える。
「母がそう言っていたので、きっとそうだと思います」(中略)
「素晴らしい絵でしょう? そう思いませんか?」
咲良さんの声が、どこか遠くから響いてくるかのように耳に届く。彼女はまるで絵に魅入られたように、恍惚とした目つきで掛け軸を見つめていた。
同
「櫻花燈籠」は盛りだくさんの内容です。祖父・父と受け継がれた蔵書は息子の翔也が受け継いでいますが、彼には父が決めた許婚の咲良がいます。政略結婚ではなく、咲良は祖父・富貴が懇意にして経済的援助もしていた地元画家・藤乃の娘です。翔也は蔵書に興味がありませんが咲良は主人公の麻美と同じ図書館司書をしています。イマドキ珍しい許婚カップルですが咲良よりも翔也の方が相手に夢中の気配です。
蔵書整理をしていると歌川国芳の娘・芳鳥が描いたかもしれない軸が出てきます。『牡丹灯籠』の幽霊画ですね。たいていは気味の悪い絵と受けとられるのですが咲良は「恍惚とした目つき」で軸を見つめていた。真贋を越えた魅力をこの軸に感じているということです。
「これは『燕』の字ですよ」
「えっ? それってつまり・・・・・・」
「山下さんの考えているとおりです。この幽霊画の「燕」という署名は、遠藤天女・・・・・・咲良さんのお母様のものだと思います。富貴さんが所蔵していた『本草和名』の中で、燕の異称として「天女」と書くことがあるとされているので、その辺の本をご覧になっていたのでしょう。つまりこの幽霊画は、天女さんの作品だと考えて間違いないと思います」
同
麻美と下諏訪先生の調査の結果、幽霊画は芳鳥作ではなく咲良の母、雅号・天女の作だということがわかります。しかも天女はパトロンだった富貴が亡くなった後行方不明になり、病院地下の図書室で餓死しているのを発見されました。富貴が亡くなって蔵書に興味のない家人が近寄らなくなっていたのです。また図書室は外からしかドアを開けられない仕組みになっていたのでした。
で、ここからは『牡丹灯籠』的展開です。『牡丹灯籠』では主人公・新三郎が実は幽霊のお露と恋仲になり、お露の正体がわかっても恋心止みがたく殺されてしまう(まあ一種の心中ですけどね)というストーリーです。咲良が母親が描いた(写した)幽霊画に強く惹かれてしまうのは、そこに隠されたメッセージがあるからです。その謎解きは許婚の翔也との関係、そして璋也の祖父・富貴と天女との隠された関係にも及んでゆきます。
ペダンティックで伏線いっぱいの小説ですが、短編ということもあってその回収がちょっと上手くいっていない気配がありますわね。病院、幽霊画、贋作(写し物)、幽霊と人間の悲劇に終わる恋など盛りだくさんなのですが詰め込み過ぎかもしれません。ただこういう小説要素をパッと短編で集められる能力が大衆作家様の優秀さでもあります。中編・長編になればもっと面白い展開も可能だということでござーます。
佐藤知恵子
■ 大橋祟行さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■