今号の巻頭は恩田陸先生の「黒の欠片」です。ほんの10枚くらいの掌編かしらね。でもやっぱりお上手だわ。テーマの拾い方、力の抜き加減が絶妙なのよねぇ。さらっとしていて、でも染みのように心に残るお作品って少ないわよね。
ふと、一人がハッとしたように私を見た。
「ねえ、さっきご飯の炊けた匂いがしたって言ったよね?」
「うん」
「ひょっとしたらこの二十六夜神にお供えしたお米の匂いだったんじゃないの」
「まさか」
私は苦笑した。確かにお米が炊けた匂いがしたけれど、このうじゃうじゃ観光客が歩き回る二十一世紀の天守閣に神様が居残っているとは思えない。
それよりも、「二十六夜神のおかげ」で免れた大火というのが、お告げを聞いてから百年以上経った、本丸御の焼け落ちた大火のことを指すというのが納得できない。いくらなんでも気が長すぎやしないか。何の根拠があって二十六夜神のおかげと言えるのか。
そんな話をしながら、急な階段を用心しいしい、ゆっくりと下りる。
恩田陸「黒の欠片」
「黒の欠片」の舞台は信州松本城です。恩田先生が友人たちと松本城に遊びに行った時の記憶がベースになっています。そういったほんのささやかな日常の記憶から作家様は小説を発想なさるのね。突飛な出来事をネタにせず、生活の中から小説を作り上げるのは女性作家様の方がお上手だわ。お料理でもお買い物でもいいわけですから。
江戸時代の姿のまま残っているお城は少ないですが、その筆頭が松本城と姫路城です。松本城は享保二年に本丸御殿が焼失しましたが天守閣は無事でした。松本を治めていた戸田氏の家臣が夜中に本丸御殿で美しいお姫さまに出会い、「二十六夜に天守に米三石三斗三升を炊いて供えよ」、そうすれば国は栄え天守は火災から守られるであろうというお告げを受けたという伝承があります。今も松本城天守閣最上階には注連縄とともに二十六夜神の「金色の文字で書かれた真っ黒な札」が掛かっています。
誰でも得られる情報ですが、主人公の私は(Mとも書かれています)天守閣で二十六夜神の説明書きを読んで、ふとご飯が炊ける匂いがしたと感じます。錯覚に過ぎませんがそこから記憶が遡ります。また「天守閣のてっぺんの天井にさりげなく掲げられていた黒い札の残像は、そこだけくっきりと脳裡に焼きついた」とある。目で見た情景が抽象的な感覚に置き換えられてゆくのです。
ふうっ、と懐かしい匂いがした。
また、あれだ。炊飯器の、ご飯が炊きあがった時の匂いだ。
そう思い、ハタと我に返った。
一瞬で匂いは消え去り、ぎょっとして、周りを見回す。
小さな店の中には誰もいないし、目の前にあるのはガラスのカップになみなみと注がれたコーヒーである。
一階は、店主が作業をするカウンターと、壁沿いに置かれた一列のソファ席のみ。
カウンターの中にいた店主は二階席にコーヒーを運んでいったところで、今の動揺を見られずに済んでホッとした。
同
ご飯の炊ける匂いって、やっぱお家の記憶よね。私の記憶はそれに導かれるように高校時代に遡ります。美術部でいっしょだったKという女の子が「色って存在するのかなあ」「あたし、妹が死んだ時、本当に世界が色を失って見えた。ちょっとびっくりしたよ。ほんとにモノクロ映画を観てるみたいで、周りのすべてが色褪せて見えたんだもの」と言ったのを思い出したのでした。思い出したというより松本の喫茶店に座って一人コーヒーを飲んでいる時に、Kが目の前に座って話しかけたような錯覚にとらわれたのでした。
Kはまた「でも、黒の存在だけは信じる」と言った。「闇の色だもの。すべては闇から生まれて、闇に帰る」からです。松本城天守閣の伝承と天井にあった黒い札が現実の事件と繋がり、無を思い起こさせる黒に吸い込まれてゆく。匂いや色に導かれて私は深層心理に下り、死に近づいていると言ってもいいでしょうね。
教会のミサではお香を焚き音楽を奏でますね。荘厳な装飾などの視覚情報も大事ですが、人間の心を最も揺さぶるのは消えてなくなってしまう匂いや音です。『源氏物語』でも光源氏が薫香に夢中になる帖『梅枝』があります。小原眞紀子さんは「どれほど豪華な綾、錦も所詮、庶民が日常で使う布の高級バージョンに過ぎません。しかし香は衣食住に欠かせない実用品ではなく、したがって庶民には縁のない、より観念的なものです。すなわち重要なのは薫物という物体ではなく、それが生み出す香の空間=極楽浄土のメタファーという抽象的なもの、観念そのものです」と書いておられます(『文学とセクシュアリティ』)。言うまでもなく極楽浄土に生者は近づけない。香に導かれてほんのわずかな間、それを感じられるだけです。
「仕方ないよ」
彼女は弱々しく首を振った。
「あれを見て思い出したんでしょう? 美術室の天井の、エアコンの吸込み口にそっくりだったものね」
まだ、彼女の名前が思い出せない。いったいなんの話をしているのだろう?
「二十六夜。お正月明けの、まさにその晩だった。三日月が綺麗だった。二十六夜だから、反対側のほうの三日月だったよね」
彼女は淡々と続ける。
「びっくりしたよね。忘れ物を取りに行って――見つけたんだもの。ね、Kちゃん」
彼女は私の顔を見ている。
Kちゃん? 私が?
彼女は静かな目で私を見ている。
「何かがぶらさがってると思って、天井を見上げたら――吸込み口の中のところに、六角レンチを渡してあったんだってね。妹さん、そのレンチに、縄を引っ掛けたんだって」
ふと、手にしたコーヒーカップに映る顔が目に入る。
桎梏の、小さな闇の中に映る女の顔。
ボブカット。
嘘。これは――K?
同
友だちとのグループ旅行ですが、自由行動になって喫茶店でコーヒーを飲んでいる一瞬に小説のクライマックスが訪れます。目の前に女の子が座っている。私に「ね、Kちゃん」と話しかけます。しかしKちゃんは高校時代の美術部で妹を亡くした女の子の名前で私はMです。私(M)とKちゃんが入れ替わっている。私は妹を亡くしたKちゃんになっていて、私(M)に話しかけられている。なぜなら私はKちゃんに話さなければならないことがある。私はKちゃんになって、私(M)の告白を聞くのです。なぜそんなことが起こったのかはお作品を読んでお楽しみください。
ただあり得ない入れ替わりが起こった後、「いつしか、二人は重なりあっている。震えている二人は、一人になる。一人の、私になる」とあります。私(M)とKちゃんが隠そうとし、忘れようとしていた記憶が重なり合うということです。「ご飯の炊けた匂い」と「黒い札の残像」に導かれて。
こういった痛みの共有も女性作家ならではの感受性かもしれませんわ。妹を自殺で亡くした女の子の記憶は作家様の実体験かもしれませんし、どこかで読んだ記事なのかもしれません。しかし自分の分身が失われてゆくような強い喪失感がなければ「黒の欠片」のようなお作品は書けませんわね。男性作家が同じ主題で作品をお書きになるとどうなるのかしらね。興味がございますわ。
佐藤知恵子
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