『りょんさんのときどき集中連載』『世相をわらう18―豊穣なる表現ってか、たわわ』をアップしましたぁ。〝たわわ騒動〟はネットニュースのヘッドラインでチラッと見たんですが、石川、スルーしておりました。日経新聞朝刊にマンガ『月曜日のたわわ』の新刊広告が掲載され、女子高生のおっぱいがおっきいので問題になったようです。まーそぉねぇあぐあぐといふ感じの炎上であります。石川、この手のハナシにあんまし関わりたくないですぅ。
りょんさんはいつものように明快です。『「人を不快にする表現はやめなさい」は常に、「わたしを不快にする表現はやめなさい」の翻訳だよね。だけど一方で、「わたしを不快にする表現はやめろ」という物言いを聞いて不快になる人もいる。一生懸命に表現したものを、「それを見たわたしが不愉快だ」という理由で悪しざまに言われれば、クリエイターは不愉快に思う。ただ、表現の自由を保障する立場の人は、相手の表現の自由も守らなければいけない』と書いておられます。
また『表現するっていうのは、それ自体が戦うことなんだ。そこでの軋轢があったら、それに対して戦うのは最初から織り込み済みでなければ、よい表現者とは言えないよ。そこへもってきて、圧力があっただの、わたしはかわいそうだのっていうのは、ちょっと甘いかな。そういった軋轢こそが醍醐味、って言ったらなんだけど、その辺のところを逆に意識的に利用したのが、いわゆる炎上商法ってやつだよね。それはそれで嫌らしいったら嫌らしいんだけど。まぁ軋轢はあって当たり前、それを相対化できる意識がなければ表現なんかできない、そのぐらいの覚悟が必要だってこと』とも論じておられる。
文学に限らず表現の幅が、様々な形で狭められようとしている時代なのは確かです。ただ皆が自分が不快と思う表現を列挙してそれを次々禁止していったら表現はほとんど不可能になってゆく。また表現者が社会に対してインパクトのある仕事を為せば、いずれ必ず火の粉が降りかかる。降りかかってきた時にどう身を処するのかが勝負でしょうね。表現と表現者の強さ弱さが試されるわけです。
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