アテクシどんなタイプの小説でも楽しく読みますけど、ゆいいつ苦手な小説があるのよ。殿方作家様の書く業界モノ小説ね。特に女性編集者と愛人関係になるっていうお作品が、我慢できないくらい嫌いなのよ。何がイヤかって、おまいら、どんだけ世界が狭いねん! と絶叫しそうになるからですわ。何作かその手の小説を読んだことがあるわね。純粋読者ですからあまり毒づかない方ですが、アホか、と吐き捨ててしまいましたわ。アテクシとしたことがいやーね、お下品で。
でもいろんな意味でびんぼー臭い小説ってすんごいイヤなのよ。その最たるモノが殿方作家と女性編集者のイロモノ。情報集めるにもプロット立てるにも労力使いなさいよお金使いなさいよ頭使いなさいよ手近なところで済ましてるとただでさえびんぼー臭い小説がもっとびんぼーになっちゃうわよって言いたくなるわ。
女性蔑視とかそういうことを言ってるわけじゃないの。小説の世界でんなもの関係ないわよ。松本清張先生は銀座で遊びまくられたでしょ。『黒革の手帖』なんか、銀座のバーで「○○のママ、すごいんだよ、知ってる?」って話耳にしなきゃ書けないわ。真剣に遊びまくってるから書ける小説ってあるわね。お金使いまくって遊ぶのもいいけど、そうじゃない方法で遊ぶことだってできるでしょーに。作家様が遊ぶの、大いにけっこうよ。そうじゃなきゃ、小説なんて俗なモノ書けないわよ。
女編集者だろうと男がおバカな女見つけるのはそんなに難しくないわね。だけどそのテのお話って野坂昭如先生とかよっぽど世間ズレした手練れの作家じゃないと、はなっから面白い小説になりようがないわ。そんなことすらわかんないのかなーって思っちゃうわけ。バカなフリしてて実はしたたかな女に騙される、あるいはバカなはずがある側面でもの凄くしたたかになってゆく女に追いつめられる、一泡吹かせられる小説の方が絶対に面白くなるわ。
身も蓋もないですけど、男は女の身体しか見てないけど、女は男の本性(心)を見透かすってのが小説の本道だとアテクシは思いますわ。平安王朝物語を読んでちょうだい。あの時代からそうなのよ。だから女の心を持たない殿方作家は失格ね。ヴィジュアルに特徴のある小説はありますが、小説の真髄は人間心理だからよ。マッチョ気取っててもそういう心を持った殿方作家様は成功なさるわ。だから逆は安心して読めます。女性作家が業界内幕モノを書いても殿方作家のような悲惨な小説にはなりません。だって殿方にも業界にも幻想がないんですもの。あ、業界に芯から染まって男性化してる女性作家は別よ。
「・・・・・・私たちもかなり粘ったんですが、どうしても営業を説得できなかったんです。部数をかなり抑えても利益を出すのはむずかしい、と言われてしまって。白川さんは世間一般には無名ですし、そういう作家の単行本を出す場合は、収録作の中のひとつでも賞の候補になったとか、書評でたくさん取り上げられて話題になったとか・・・・・・何かのフックがないと、今は厳しい状況なんです。業界全体の問題で、なんとかしなくちゃいけないんですが」
白川沙穂は黙って聞いていた。この部屋へ来てソファに座った当初は輝いていた表情が、どんどん陰って、今は紙みたいな無表情になっている。
「それって決定ですか?」
柚奈が話し終わると、沙穂は聞いた。柚奈が返事をためらっていると、「はい。申し訳ないんですけど」と小田が言った。
「原稿の内容にかかわらず、私の本は、現状では出版するメリットがないからこちらでは出版できない、ということですか?」
はい、残念ですが、とまた小田が答えた。
「おかしいね、橋本さん」
「え?」
柚奈はぴくりと顔を上げた。
「こういうときは敬語になるんだね。あたしたち、ずっとタメ口で喋ってたのに」
井上荒野「何ひとつ間違っていない」
井上荒野先生の「何ひとつ間違っていない」の主人公は、大手出版社の書籍部で働いている橋本柚奈です。柚奈は文芸誌編集部にいる時に同い年の作家・白川沙穂と知り合い彼女の小説を評価しました。書籍編集部に移ってからも付き合いは続き、柚奈がアドバイスして作品を改稿してなんとか単行本一冊分の原稿をまとめたのです。柚奈はそれを自社から出版するつもりでいたのですが会社の決定はNOでした。「営業を説得できなかった」というのはもちろん方便です。誰かが、あるいは何かの会議で却下されたということです。
作家にとって原稿を否定されるのは非常に辛いことでしょう。ましてや出版されると思い込んでいた本が出ないと知らされた時のショックははかりしれない。柚奈の見込みが甘かったと言えばそれまでなのですが、彼女だってなんの根拠もなく単行本化を進めたわけではないと思います。いずれにせよ身も凍るようなギスギスとした場面です。
白川沙穂は実名でアカウントを作っていた。今日、柚奈や小田と別れたすぐ後で作ったらしい。
白川沙穂@sahoshirakawa
今日、景星出版に呼び出され、アナタの単行本は出ませんと通告された。雑誌に発表した小説を半年かけてなんども改稿させられた挙句の仕打ち。私の小説では会社に利益が出ないとのこと。それなら半年前にそう言ってほしかった。(後略)
白川沙穂@sahoshirakawa
半年間、改稿に集中したくて、バイトも減らした。もちろん大した部数を出してもらえるとは思っていなかったけど、本の刊行が、新たなチャンスに繋がると信じて。担当の編集者さんは私の小説を好きだと言ってくれ、本が出せないかもしれないなんて半年間一度も言わなかった。(後略)
白川沙穂@sahoshirakawa
営業部を説得できませんでした、の一点張りで、なんの代案もない、フォローもない。会社に呼びつけて一方的に通告。呆然としている私に、美味しいお店予約しているからこれからランチ行きましょうって、どういう神経してるのかわからない。(後略)
白川沙穂@sahoshirakawa
なんか、もう心が折れた。ここから這い上がれる気がしない。(後略)
同
ゾッとするような展開ですね。沙穂が書いていることは「何ひとつ間違っていない」。荒野先生はあえて無神経に「美味しいお店予約しているからこれからランチ行きましょう」と書いたわけですから。傷は抉らなきゃ意味がない。また作家の卵さんたち、あるいは中堅作家さんでも明日は我が身の現在の出版状況です。
こういうTwitter上での大手出版社告発(?)は最近実際にありましたね。私たちがTwitterという個人所有ですが原則的に全世界に発信できる(全世界で読める)ツールを持った以上、こういった不満(告発?)が発せられるのは半ば必然だと思います。特に若い内は瞬間湯沸かし器になってTwitterに書き込んでしまうことがあるでしょう。誰でもいいから助けて! ということです。気持ちはよくわかります。その行為は責められません。
ただそれをやってもまず間違いなく結果がひっくり返ることはありません。誰かが助けてくれるのも奇跡を期待するようなものです。なぜか。大手出版社であろうとその他の企業や集団だろうと、他者の力、他者の財産に頼らざるを得ない弱い立場だからです。自分が力をつけて対等に近いところまで存在(露骨に言えば商品)価値を上げていかなければ状況は変わらない。作家は自力で状況を変えるための行動を起こさなければならないということです。噛みつくのは一度は大目に見てもらえる可能性があります。だけど二度、三度とやればターゲットだけでなく、業界全体から敬遠される可能性があるでしょうね。出版界に限りません。
「言ったでしょう、粘ったって。でもだめだったんだよ。こういう小説は今、まったく売れないって言われたら、反論できなくて。そっちも努力してよ。ずうっと同じような小説ばっか書いてないでさ」
沙穂が頬をぶたれたような顔で柚奈を見た。なんでこんなことを言ってしまったのだろう。沙穂のことが心配でここまで来たはずなのに。沙穂の小説が好きだったはずなのに。
沙穂がすっと手を伸ばして、ホットプレートのスイッチを切った。柚奈は立ち上がった。
同
柚奈が言っていることも筋が通っています。柚奈は縁もゆかりもない赤の他人の沙穂の小説を世に出すために努力した。しかし会社はそれを否定した。彼女にはこれ以上何もできない。「そっちも努力してよ。ずうっと同じような小説ばっか書いてないでさ」というのは新しい、違うタイプの小説を書いて這い上がってきてちょうだいということでしょうね。柚奈もまた「何ひとつ間違っていない」。
すぐに柚奈は状況を理解した。これは毅が企画したサプライズパーティなのだ。(中略)
「やだ・・・・・・びっくりした」
柚奈は言った。全然気がつかなかった、とも言った。そういう言葉を、毅をはじめその場の人たちに期待されているに違いなかったから。(中略)
「僕と結婚してください」
「はい」
と柚奈が答えると、歓声と拍手が上がった。(中略)
お祝いの言葉を口々に伝えられ、それが終わると、参加者はまた部屋のあちこちに散らばった。(中略)そんな成り行きになんだか笑い出したくなった。世界はこういうものなのだ、と柚奈は思った。何一つ間違っていない、と。
同
物語は意外な方向に進みます。
柚奈は同じ会社の週刊誌編集部所属の毅と社内恋愛していました。沙穂とのいざこざがあった日は柚奈の誕生日で二人でお祝いすることになっていたのですが、急な仕事で延期したいと毅からラインが入ります。週刊誌記者なのでドタキャンには慣れていました。が、毅は実は柚奈にプロポーズするためのサプライズパーティを企画していたのでした。
柚奈は驚いてみせます。「そういう言葉を、毅をはじめその場の人たちに期待されているに違いなかったから」。プロポーズも受けます。そして「そんな成り行きになんだか笑い出したくなった。世界はこういうものなのだ」「何一つ間違っていない」と考えます。
荒野先生ならではの冷たくて、そしてとっても後味の悪い展開です。ただ記憶に残る。それは凄いことです。なお沙穂は柚奈が部屋を出たあとtweetを削除しました。それも「何一つ間違っていない」。ただ彼女が立ち直るのか、それとも柚奈と柚奈の出版社と縁を切るのか、あるいはもっと悲惨なことが起こっているのかはわかりません。すべて「間違っていない」。人は自分一人の力で何かを決定的に変えるのは難しい。だけど選択すればそれは自分一人の決定的選択で、すべて自分の肩にのしかかってくるのです。
佐藤知恵子
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