今号には「華麗なるミステリーの系譜」特集が組まれていて、ミステリー小説がかなり掲載されています。面白かったわぁ。オール様のイチオシというか特徴は言うまでもなく時代小説でございます。そのラインで売れ筋を探っておられるのはよーくわかります。だけどどんどん質が落ちてきてる気配がございますわね。
アテクシ、小説家でもなんでもないですけど、時代小説は案外書きやすい小説だと思いますの。お作品を読んでいると作家の先生方はそれなりに時代考証をなさっているわね。地理的なものとか生活的な規則とか。時代小説はたいてい江戸後期が舞台ですが、その時代の雰囲気を醸し出す効果を発揮しています。だけど内容がねー。
時代小説では現代社会の問題点の、古い古い、言ってみれば普遍的本質が表現されていなければいけないと思いますの。現代小説では様々な現象に遮られて見えにくい本質が表現されているのが理想ってことね。だけどそれだけじゃ十分じゃなくって、やっぱり時代特有の抑圧が働いていなければなりませんわ。この抑圧は作家や作品に都合よく設定されているんじゃダメね。現代社会とは違うけど、質的には同じような形で作用する抑圧でなければならないと思いますの。
時代小説の名作を読めばわかりますが、いくつかの勘所を押さえてないとダメってことです。アテクシ、時代小説では実は考証なんてそんなに必要ないと思いますの。現代人はどうやったって江戸社会を正確に再現できないですからね。考証は正確でなくてもお作品を貫いている時代小説ならではのフレームがハッキリしていれば、読者は細かいことを一切気にしませんわ。
なんちゃって時代小説が多いような気がしますの。乱暴なことを言えば恋愛にしろ金銭、親子関係、主従関係(現代では会社とか)、チャンバラ(諍いごと)なんかを描いても、現代小説より緊張感がなくて緩いのよ。江戸時代っていう過去を描くことを免罪符にしちゃってるような気配がありますわ。現代モノ小説を書いている作家の方は時代小説は特殊で難しいと思っているかもしれません。でもそれが実は比較的敷居が低いってわかってる作家様が大量にこのジャンルに押し寄せて来てる気配ね。
もちろん時代小説って当たるとおっきいわ。やっぱ日本のお家芸的小説ですから琴線を揺さぶるのね。歌舞伎だと仮名手本忠臣蔵や勧進帳が不動の当たり狂言よね。人形浄瑠璃だど曽根崎心中なんかの心中モノが今でも人気だわ。現代でも小説はもちろんドラマや映画なんかで定期的にリメイクされています。時代小説で大当たり狙うのは間違いじゃないわよ。
だけどそろそろ「この作家本物!」っていう時代小説作家が現れて来ないとヤバイわね。今の時代小説のレベルでチャンバラが、吉原が、同心モノが得意ですといったバリエーション作家を探しても限界がありそうね。違う質の、ということはもう少し高いベレルの時代小説作家が出て来ないとこのジャンル、盛り上がりに欠けそうよ。
ここは、知っている。
焦げ茶色とクリーム色の外壁がスタイリッシュに組み合わされた八階建ての建物、エントランスの左右にある小さな二体のシーサー。
山中は正太郎の視線の先を確認し、
「ここも人気の物件ですよ」
と楽しそうに言った。(中略)
たしか巡査部長に昇任する直前の頃だから、今から十二年前か、と正太郎は思う。
グランドシーサーあざみ野は、正太郎がこの街の所轄で刑事をしていた頃、捜査のために何度も訪れたマンションだった。
芦沢央「アイランドキッチン」
芦沢央先生の「アイランドキッチン」の主人公は刑事を退職して悠々自適の生活を送る正太郎です。なんとなく始めた家庭菜園にはまった正太郎は、もっと広い庭かベランダで野菜類を育ててみたくなり、思い切って家を買おうと不動産屋を訪ねます。刑事時代は転勤ばかりだったので、妻に家をサプライズプレゼントしようかという思いもあります。で、不動産屋の主人・山中から物件の写真や図面を見せられる。その中にかつて手がけた事件の舞台となったグランドシーサーあざみ野というマンションがありました。
正太郎はなんとなくモヤモヤが残るまま捜査終了となったその事件のことを思い出します。もちろん十二年前の事件で正太郎は刑事を引退していますから、本腰を入れた再捜査をするわけではありません。これでどうやって推理モノに仕立ててゆくのかな、と思いましたがそこは芦沢先生です、スリリングな仕上がりになっています。正太郎が不動産屋の椅子に座ったまま事件について推理し結論めいたものに達する、いわゆるチェア・ディテクティブ(安楽椅子)小説です。
希美自身、夫が仕事中に急死したこと、取引先の社員に納品について連絡することで頭がいっぱいで、自分への最期の言葉を遺さなかったことは、同情を引くことはできても、自分の言動を正当化する理由としては認められないと理解していたのだろう。
希美は、「夫と豊原実玖は不倫関係にあった」と主張し始めた。
だから夫も、最期に自分へではなく実玖に電話しようとした。そもそも実玖が有限会社トレインに発注をかけたのも、夫に好意があったからだ。百貨店での展開を望んでいた夫は、取引をちらつかされて応じてしまった。実玖は夫への個人的な感情から取引を始めたから、夫が亡くなった途端、取引を切ると言い始めたのだ、と。
実玖からすれば、まったくもって寝耳に水の話だった。
同
十二年前の事件とは、グランドシーサーあざみ野八階の部屋から二十八歳のOL、豊原実玖が転落死した事件です。当初自殺と考えられましたが初動捜査で気になる背後関係が明らかになった。実玖は百貨店の子供服売り場の仕入担当で取引先のトレイン社社員、有吉勝吾の納品を待っていた。ところが勝吾は納品途中で脳卒中で倒れてしまう。まだ意識があった勝吾は救急隊員に「豊原さんに連絡してくれ、申し訳ない、後で必ず納品する」と伝言を残した。しかし彼はそのまま亡くなってしまったのでした。
これだけなら不幸な突然死ですが、勝吾の妻の希美がストーカーで前科のある女性だった。夫が最期の言葉を実玖に遺したのは、夫と実玖が不倫関係にあったからだと騒ぎ始めたのです。もちろん事実無根です。実玖の会社も警察も嫌がらせを止めさせようとしますが効果はありません。実玖の住むマンションのポストに怪文書をばらまく始末です。実玖は鬱になって休職し、その間に転落死してしまったのでした。
捜査中に非常階段にいる女性を見たという匿名の通報があります。しかし裏が取れない。また実玖には恋人がいて、彼が結婚しようと言ったので休職中に彼の実家に挨拶に行った。両親は息子が席を外した時に息子を心療内科に通っている女性と結婚させるには、と、結婚に難色を示したのでした。それが自殺の引き金になった可能性がある。
さらに実玖が飛び降りて亡くなった場所から一番近い一階の部屋の住人、原口家の庭から実玖の遺書が見つかった。飛び降りた時に庭に落ちたようなのです。ただ原口夫人から遺書が届けられたのは飛び降りがあってから一週間後でした。正太郎たちは当然庭も捜索していましたが遺書が落ちているのを見落としたようなのです。プロの捜査官にはあるまじき失態です。また原口家では庭で家庭菜園を営んでいた。家庭菜園を自分で営むようになった正太郎は、今さらですが一週間も庭の様子を見ないのはおかしいと考え始めます。
「自殺と殺人事件だとそんなに違うんですか」
「違いますねえ」
胸の前で腕を組んで、渋い顔をする。
「事故物件の告知ってのは、基本的に占有部――その部屋の中で死亡した場合じゃないと義務がないんですよ。外階段のような共用部で起こった飛び降りや事件は、別に買い主さんに伝えなくてもいいわけです。でも、殺人事件となるとニュースになっちまうでしょう。そうしたら告知もへったくれもないですからね。犯人が捕まっていない事件の場合なんかだと、下手をすると売却価格が半分以下になることだってある」
同
謎解きは思わぬ方向に向かいます。実玖はどうやら自殺したらしい。またストーカーの希美もシロ。残るはなぜベテラン刑事の正太郎たちが原口家の庭に落ちていた遺書を見落としたのか。原口夫人は本当に飛び降りから一週間後に遺書を見つけたのか。
実玖の飛び降りがあった時、原口家ではマンションからアイランドキッチン(部屋の真ん中にデンとキッチンがある家)のある一戸建てに引っ越そうとしていました。旦那さんの独断で仮契約を済ませてから奥さんに報せた。手付けを払っているのでもう後戻りはできない。解約すれば手付金がフイになるからです。しかし不動産にはローン特約というものがあって、ある一定条件を満たせば契約を解除できて手付金も戻ってくる・・・・・・。
謎解きの詳細は実際にお作品を読んで楽しんでいただくとして、多分40枚くらいの小説でけっこうな伏線の設定とその回収がキッチリ行われています。推理小説も書くのに慣れはあるのでしょうが、一作ごとに違う謎設定して謎解きしなければなりませんわよね。毎回お馴染みの登場人物が出てきて日常生活のちょっとした泡立ちを描く時代小説より、複雑で労力を費やした小説だと思いますわ。
佐藤知恵子
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