今月号では特集「2011-2021東日本大震災からの10年」が組まれています。日本は地震国なので東日本大震災の後にも二〇一六年に熊本地震が起こり五十人の方がお亡くなりになりました。最大震度は七で同じですが東日本大震災では一万五千七百八十六人の方がお亡くなりになっています。ほとんどが津波による死者でした。津波は本当に恐ろしい。
津波来る 津波が来ると騒ぐ血の私の詩人がそれを見たのだ
津波来る 津波がくると海見れば祖よりの血が吾に騒ぎしを
海が無い古里が無い どっかりと防潮堤が視野塞げるを
うつくしまなんて原発福島の軽きに乗りて爆ぜしを思う
東電の原発爆ぜしを問わば問え他者に頼らぬ自我自尊こそ
貧しくて招く原発 まねきしはああ福島の死神なりしを
波汐國芳「死神」より
東日本大震災を題材にして短歌を書き下ろすと短歌表現が私性と密接に結びついていることがわかりますね。多くの死者と被害をもたらした大震災ですから誰もが厳粛にならざるを得ないのは当然です。ただ俳句は基本的に客観写生ですから大震災を高所から見下ろすように相対化して表現することができます。しかし十四文字(七七)長い短歌ではそうはいかない。必然的にフィクションの要素が排除され作家の私がその体験や思想を表現しなければならなくなる。まったく震災を経験していないのに渦中にあったかのような歌を詠めば批判をまぬかれないでしょうね。
波汐國芳さんの短歌は津波到来から福島原発事故までを読んでいるという意味でアベレージ的な震災短歌です。このアベレージの上を行くか下をゆくかあるいはなんらかの形で揺さぶりをかけ新鮮な表現を得られるのかが震災短歌を読む際の歌人の腕の見せ所ということになります。不謹慎に聞こえるかもしれませんが短歌が文学であればそこから逃げるわけにはいきません。
そういえば達彦が生きていれば今、三十一歳、同級生だから
トイレットペーパーもティッシュもたくさん残ってて続いていこうとしてるよ日々は
ねえ達彦、結婚したよ、まだ子どもはいないよ、もう一度会いたいね
生きていればきっと知っていたこと、そうじゃないから増えていってしまうね知らないことが
LEDの寿命の欄に40000時間って書いてて明日からの僕たちは
下校時に達彦が傘を銃にして撃った銃弾はまだ空のなか
近江瞬「今だって、なにかの前で」より
近江瞬さんの短歌は「そういえば達彦が」で始まりますが震災でお亡くなりになった達彦という同級生をモチーフにしています。「そういえば」で始まることから近江さんは恐らく震災の渦中にいたわけではないと推測されます。そのため連作「今だって、なにかの前で」は震災の衝撃ではなく震災後の時間を描いています。私の時間は続いており達彦の時間は奪われ断ち切られ止まってしまった。しかし連作の最後の歌「下校時に達彦が傘を銃にして撃った銃弾はまだ空のなか」はちょっと苦しい。少し空疎な修辞でまとめたという感じがします。連作の本当の主題は私の続いてゆく時間の方にあるわけですから否応なく続いてゆく時間に関する思想や感慨をハッキリ表現した方が良かったのではないか。
拾われし位牌小さく飾られて仮設出る日を指折り数う
塩害を忘れおりしに雪融けて戻らぬ緑の現実を見る
親友に頼みがあると電話すれや「金なら駄目だ」と大笑す
すやすやと眠る嬰児乳母車仮設の媼等交互に覗く
幾度も今日何日と聞く老妻に今日は昨日の次の日と云う
他の犬を見る度ご免と謝りぬ置去りにせし柴犬冬子に
「助けて」と絶叫しつつ流れゆく地獄絵吾の眼裏に住む
お漏らしは私でないと云う老妻は何時しか嘘云う神様となる
戦場で死なず津波で生きのびて終の住家が仮設村とは
三日前在宅介護を契約し妻は安堵し次の日逝きぬ
夜半に起き妻の様子を見んとする二十日も前に妻は逝きしに
この世にはもう悔いないと言う吾の指より錠剤笑つて逃る
近近に私惚けます悪しからず三十若き友へ追伸
寝たきりの眼が届く窓際に赤い花咲く薔薇の針置く
「島田啓三郎作品(五十首)――選・佐藤通雅」より
「島田啓三郎作品(五十首)――選・佐藤通雅」は仙台の日刊新聞河北新報の短歌投稿欄に掲載された歌です。短歌研究さんは目配りがいいですね。いずれも秀歌です。
歌を読めば島田さんが被災なさり奥さんと仮設住宅に住むことになったことがわかります。また被災後に奥さんの老衰が進み亡くなられたことが描かれています。島田さんもまた健康がすぐれず寝たきりに近い状態になっているようです。
私の体験とそれによって生じる感慨や思想を表現しているという意味で短歌らしい短歌です。投稿欄に掲載された短歌ですが立派に連作になっている。ただテクニックがないのかと言えばそうとは言えない。無意識的であろうと島田さんは短歌表現の要点をしっかりと押さえておられます。
乱暴に言えば私性の相対化ですね。島田さんが経験された現実は私一人が担うには重すぎる。正面からぶつかればちっぽけな私などすぐに押しつぶされてしまうほど重く残酷なものです。その私の苦しみの中でフッと私が相対化されている。私性の極限が私性の相対化に繋がり他人事のように私と私の周囲の生活や変化を描いてゆけるようになるわけです。短歌的写生は俳句とは違います。島田さんの短歌は優れた写生短歌と言っていいと思います。
吹雪くなか来る人はみな頭垂れ、春の蕨のごとく頭垂れ
流されて家なき人も弔ひに来りて旧の住所を書けり
沖さ出でながれでつたべ、海山のごとはしかだね、むがすもいまも
柏崎驍二『北窓集』より
特集では十七人の歌人が「忘れられない歌、忘れてはいけない歌」という総題で震災短歌を選んでエッセイを書いておられます。柏崎驍二さんの短歌を選んでおられる方がけっこういらっしゃいます。絶唱という意味では柏崎さんの歌が震災短歌を代表するかもしれません。実際の体験がなければ書けない歌です。いや実際に震災を体験した歌人は幾人もいらっしゃるでしょうがそれでも柏崎さんの絶唱のレベルには達していないと言っていいと思います。
柏崎さんもちっぽけな私など簡単に押しつぶされてしまうような現実の悲惨に直面しています。そしてやはり歌では私性の相対化が起こっている。この極限まで追い詰められた私性の相対化は短歌文学の奥義と言っていいところがあります。この奥義に触れると――乱暴な言い方ですが――どんなに短歌について考え修辞を凝らしても簡単に作品で追い抜かれてしまうということが起こります。アベレージで秀歌を書き残しても一首の強さで敵わなくなるのです。
ではこのような私性の相対化は悲惨な現実を実際に体験しなければ起こらないのかと言えばそうとも言えません。ほんのささいな現実でもそれは起こり得る――あるいは起こし得るものです。典型的な例は小説の世界の私小説作家です。彼らの方法は短歌と地続きです。葛西善蔵は廣津和郎からの香典返しの山本山の海苔の缶が凹んでいたというだけで私のエゴの地獄のような苦しみを書いた。そこから抜け出そうとしました。短歌の奥義とはそういうことでもあります。短歌は日本文学すべての母胎でありその奥義をつかめば小説などの他ジャンルの表現も可能になります。
高嶋秋穂
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