新年号には小佐野彈さんの「したたる落果」が掲載されている。小佐野さんは今のところ歌人としての方がよく知られているかもしれない。短歌研究新人賞を受賞され、第一歌集『メタリック』で現代歌人協会賞を受賞なさった。
家々を追はれ抱きあふ赤鬼と青鬼だつたわれらふたりは
乞ふべきか乞はざるべきか いや、やはり乞はざるべきだ 赦し、なんか
男同士つなげば白いてのひらに葉脈状のしみがひろがる
ゲイであることを公表しておられるがそうでなくても歌を読めばなんとなくわかる。歌は自らのアイデンティティを巡るものが多い。またおおむね口語短歌の手法で書かれているがその骨格は古典短歌のものである。
文學界では穂村弘さんが長い間連載を持っておられたが、歌壇は沈滞する文壇・詩壇を尻目に空前の活況を呈している。俵万智さんの口語短歌を皮切りに、より実験的で自由な表現のニューウエーブ短歌を生み出した。先が見えにくい時代に日本文学で最も古い短歌がいち早く大きなうねりを生み出しているのは面白いことである。
この歌壇の活況の中から、短歌というジャンルを越えて小説でも活躍しそうな作家が出て来そうな気配はあった。詩人、俳人からはほとんど小説家が出ない、と言うと叱られそうだが、生粋の小説家に比肩し得る詩人は歌人が多い。短歌はすべての日本文学の母胎である。短い表現の中に強烈な私性と物語性を織り込む短歌は太古の昔から物語へと発展する要素を秘めている。
ただいつの時代でもジャンルを越境するのはほんの数人の作家だけである。小説界が低迷していることもあって詩壇で頭角を現すと小説執筆の機会が巡ってくることがある。純文学メディアは生え抜きの小説家にあまり期待していないというか、それなりに自助努力して文壇外からの刺激を積極的に取り入れようとしているわけだ。しかしたまさか芸能人の小説がヒットするくらいで、またこれもハッキリ言えば、その作品が今の停滞を打ち破るような力を持っているとは到底言えない。
その理由は比較的簡単で、芸能人はなぞるように小説を書く。純文学誌ならそのルールを勘良く飲み込み、大衆小説誌の依頼なら面白おかしく書く。元々持っている知名度と固有の情報でそれなりの作品になるが、外からの刺激で期待されている新し味は少ない。詩人は詩を書いている手慣れで小説を書いてしまう。一番下手の詩人の小説はファンタジーに流れてしまうものだが、私小説をなぞってもたいていの詩人は自己を抉らない。小説の骨格を把握していなければアベレージの作品にすらならないのである。
しかし小佐野さんの小説は違う。この作家は表現したい強烈な内実を持っており、それが核となって小説の骨格を的確に把握している。ようやく歌人から本格的な小説家が現れたという気がする。
余談だが小佐野彈さんは、あの小佐野賢治氏の大甥に当たるそうだ。戦前からの右翼の大巨頭でロッキード事件で「記憶にございません」を連発したことで有名だ。小佐野賢治さんの血筋は小佐野彈さんの実業家という側面に流れていると言えるが文学は独自の努力だろう。しかしまあ一種の貴種だとは言える。小佐野賢治氏への言及はないが、ある種の特権的階級に属しているような気配は小説を読んでいても感受できる。批判しているわけではない。むしろ逆だ。そこまで含めて小佐野彈さんは自己を隠さない。露わにする。歌人としてはもちろん、生粋の小説家の資質をお持ちなのかもしれない。
大学を卒業してすぐの四月下旬、あたしは桃園空港に降り立った。
ターミナルを一歩出た瞬間、あたしのからだは強烈な陽光にさらされた。(中略)
――うん、なんとかなる。
痛いほどの日差しを頬に受けながら、あたしは確信した。
最初の一年間は、ひたすら語学の習得に邁進した。
多くの日本人が通う国立台湾師範学校附属の語学研修所ではなく、あたしが選んだのはマンツーマンで教えてくれる老舗の小規模な語学学校だった。もし師範大学に行ったら、絶対に日本人同士で群れてしまうに決まっている。少しでも早く、台湾という島の風土に溶け込みたかった。
小佐野彈「したたる落果」
「したたる落果」の主人公はギャル男系の派手なファッションに身を包んだ「あたし」である。あたしは大学卒業後に台湾に渡る。日本人のいない語学学校に通い日本人との交流を断った。「敢えて日本人を遠ざけていたとも言える」とある。台湾人に成り切り、アイデンティティを再構築しようとしている孤独な青年の姿が浮かび上がる。その理由にゲイがあるのは言うまでもない。
「「ジン(あたしの名前)のお嫁さんにパパも会いたかったでしょうね。子煩悩なひとだったもの。孫が生まれたらどんなに可愛がったことか」/父がいなくなった年の初秋、リビングのソファに座って雨を眺めながら母がこぼしたひとことは、まるで粘菌のようにあたしの胸底にこびりつき、ゆっくりと着実に拡がっていった」とある。小佐野さんの短歌に「確固たる理想くづれてなほ僕を赦せるらしい 母といふ人」がある。
小説の舞台は実際に著者が住む台湾だが、そこにもこの作家の勘の良さが反映されている。メインチャイナとの軋轢で政治的話題に上ることが多い台湾だが、台湾の実態に即せば簡単にメインチャイナに飲み込まれることはまずない。あり得ない。東南アジアでは息苦しい超大国の、もはや共産主義ではないにせよ全体主義のメインチャイナからの抜け道としてタイペイやマニラ、シンガポールなどが機能している節がある。実に多様な国際都市でもある。ただ台湾はメインチャイナとの軋轢を反映して沸騰した熱気に包まれている。経済的にも精神的にも沈滞している日本とは対照的だ。
最近になって台湾現代詩が注目されることが多いが、それは台湾の精神的状況を的確に反映しているからである。日本の現代詩は思想表現中心の戦後詩と言語実験を主軸に置いた現代詩の混交で、それらは戦後復興の活気と平行して隆盛した。それに近い現象が現代台湾現代詩で起こっている。鋭い政治感覚と言語実験が並列で生起しているのだ。あたしは自己のアイデンティティ再構築のために的確に沸騰する台湾の地を選んだわけだ。
「でも結局外来種が生態系を破壊してる。なんで駆除しないんだろ。少なくとも規制はするべきじゃん」
あたしがやっと発した声は、少し震えていた。
「せやけど、ウチらみんなここでは外来種やで。在来種を駆逐するほどの繁殖力はないけどな。(中略)台湾は基本的に外来種に優しいんやろなあ。魚でも人でも。(中略)俺やって大阪育ちやけど、おかんは沖縄やし。みんなどこから来たかなんてわからへん。どこにおっても結局みんな外来種なんとちゃうかなあ」(中略)
「ジンさん大丈夫ですか? お水飲みます?」
突然頭を抱えたあたしを心配して、ほのかちゃんが声をかけてくれる。
真っ白い肌に刻まれたタトゥーが、鋭利な刃となってあたしを追いかける。
〈34°17’15’’N 133°06’29’’E〉
広島県尾道市生口瀬戸田町。
ほのかちゃんの、紛れもない、ふるさと。
同
あたしは台湾進出を目論む企業向けコンサルティング業を始め、接待のために台湾の日本人向けバーなどに出入りするようになる。東山彰良さんの小説にも描かれているが、台湾の風俗街は日本より遙かにディープで多様だ。その流れで日本人が集まる飲み屋にも通うようになる。あたしはようやく台湾の日本人コミュニティに出入りすることになったのだった。
客の多くはビジネスで赴任してきている日本人である。その中に釣り具メーカーに勤めるコバがいる。コバは自身も釣り好きで台湾は外来種の規制が緩く魚種が多いので魚釣りが楽しいと言う。外来種は規制すべきじゃないのと言ったあたしに、コバは「結局みんな外来種なんとちゃうかなあ」と言う。その言葉にあたしはショックを受ける。あたしはゲイという外来種(マジョリティから弾き飛ばされた者)だ。しかしコバはみんな外来種のようなものだろと言った。
また大手商社の駐在員の小柄なほのかは二の腕にタトゥーを入れている。世界中を飛び回って仕事をしているビジネスウーマンだ。タトゥーは絵ではなく彼女の実家の緯度と経度の数字のアルファベットの羅列だ。ほのかは「だって、海外にいるからこそ、ふるさとを大事にしたいじゃないですか」と言った。ほのかの入れ墨にもあたしは衝撃を受ける。人は決して自らの出自を逃れられない。日本人コミュニティに出入りすることで、あたしは自らのアイデンティティを強く意識せざるを得なくなった。
「ねえ、ジンさん」
セグちゃんが、急に立ち止まってふりかえる。風が止み、まろやかな声が、いまははっきりと聞こえる。
「なに」
「うちら、帰れるんですかねえ」
「帰るって、どこに」
「どこがええかなあ。オランダとか?」
インドもええなあ、と薄く笑ってセグちゃんが、またゆっくりと歩き出す。ふたたび、夜風が吹き始める。あたしはポケットにしまっておいた小さな一粒を取り出して、街燈の明かりにかざしてみる。ナトリウムランプのやわらかな光の下で、黄緑色の果実はたちまち色を失い、ほどなくして夜闇と溶け合った。街路や建物の輪郭が、あいまいになってゆく。あたしの目に映るすべてが、ぼんやりとしている。先をゆくセグちゃんの小さな背中だけが、ただひとつたしかなものとして存在していた。
同
セグちゃんはコバが紹介してくれた日本人で、大手美容サロンの海外事業責任者として台湾に駐在している。いつもセグウェイで移動しているのでセグちゃんと呼ばれている。セグは若くして結婚したが、ささいなことで義父の逆鱗に触れ離婚することになった。おまけに狭い田舎で家族もろとも村八分になってしまった。「あのとき決めたんすよ、もう二度と(日本に、故郷に)帰らんとこ、って」とあたしに言った。
セグはまた「ジンさんとは、やっぱ住む世界が違うなあって」と唐突に言った。ヘテロとゲイの違いというだけではない。本質的にあたしとジンは相容れない異なる部分を持つ他者である。ただ「でも、こうして一緒にメシ食って、一緒に歩いてるよ」と言ったあたしに、セグは「そうなんです。ラーメンの好みも、生まれも育ちも全部違うのに、一緒にいるんです」と答えた。
「うちら、帰れるんですかねえ」とあたしに問いかけ、「どこがええかなあ。オランダとか?」と自分で答えたセグは、はぐらかしているわけではない。セグはあたしと比べれば社会のマジョリティに属しているが、あたしと同じ本質的な故郷喪失者だ。あたしは「先をゆくセグちゃんの小さな背中」を見ながら自己のアイデンティティ獲得のきっかけをつかんだ。
「大丈夫ですか?」
セグちゃんに向き直る。雅やかな白皙の顔が、街燈の下でほんのり赤らんでいる。
「ううん、なんでもないの。さ、行くわよ」(中略)
「ん? ジンさんの話し方、なんかいつもとちがう」(中略)
あたしは手で押していた白いセグウェイに飛び乗った。(中略)
目前に迫る南京東路の信号が、赤に変わろうとしている。
「ジンさん! 停まって下さい!」
スピードを落とすことなく、あたしは交差点へと突き進んでゆく。けたたましいクラクションと、急ブレーキの音が聞こえる。
このまま、まっすぐ進もう。
いまのあたしは、どこまでもゆける気がするの。
同
あたしの変化は「ううん、なんでもないの。さ、行くわよ」というささやかなオネエ言葉で表現されている。小説で、しかも私小説で自己をさらけ出すのは苦しいはずだ。ただ小佐野さんは、それをやり始めたらとことん自己を抉らなければならないことを知っているように思う。「どこまでもゆける気がするの」の先は必ずあるだろう。
LGBT小説というカテゴライズは、小説がLGBT小説という型にはまっている時に使用することが多い。しかし優れた小説は優れた小説という以外に呼びようがない。LGBT小説も純文学も大衆文学といったカテゴライズも関係ない。また私小説は本質的に短歌表現と密接に関係している。短歌が私小説の母胎だと言っていいところがある。小佐野さんは歌人としても期待できるだろう。
大篠夏彦
■ 小佐野彈さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■