今号は文學界「創刊一〇〇〇号記念特大号」である。巻頭には文學界創刊号の写真が掲載されていて、昭和八年(一九三三年)十月刊、「深田久弥、宇野浩二、広津和郎、川端康成、林房雄、武田麟太郎、小林秀雄の編輯同人による創刊号」とある。版元はついていたが文學界は実質的に同人誌だった。島崎藤村や北村透谷が参加していた文學界もあるが、これとは別。
もちろん売り上げは芳しくなく、文化公論社、文圃堂書店、文學界社と版元を変え、昭和十一年(三六年)七月から菊池寛の文藝春秋社が刊行することになった。小林秀雄らが編輯担当を辞め、完全に文藝春秋社編集雑誌になったのは昭和十五年(四〇年)五月以降である。芥川賞が設けられたのは昭和十年(三五年)。第一回受賞者は石川達三だが、当時はそれほど注目されなかった。
芥川賞受賞にまつわるエピソードでは選考委員の川端康成と太宰治の確執が有名だがこれは第一回の話である。当時は新人作家だったが強烈に自己顕示欲が強かった太宰は、どうしても栄えある第一回受賞者になりたかったわけだ。太宰ファンにとって川端は通せんぼした嫌なヤツということになるかもしれない。しかし選考委員に直接受賞懇願の手紙を書く方がどうかしている。いわば裏工作だ。この時の太宰の手紙はよく知られているが、中立でなければならない選考委員の反感を買うのに十分な内容である。まあ太宰という作家を知る一つのエピソードとしては面白い。
で、おめでたい「創刊一〇〇〇号記念特大号」を読んで困ってしまった。二十三人もの作家に文學界一〇〇〇号記念用ご祝儀小説を依頼しているので、すべて短編小説である。小説掲載ページの分量はいつもの文學界より遙かに多いわけだが、この〝文學界さん側の都合〟に乗っかって独自性というか目立った力を発揮している作家がほとんどいない。今はドンと作品をフィーチャーする文學界イチオシ看板作家がいないのか、それとも百花繚乱を良しとする方針なのか。だけど短編でもきっちり面白い小説を書ける大衆作家ならいざしらず、芥川賞系作家に枚数制限ありの短編小説を書き下ろさせればどうなるか予想できる。まあ予想通り。今号が文學界主役の卒寿パーティのようなものなら、いっそ文學界に縁故のある作家たちから「おめでとう」祝辞を集めまくった方がよかったんじゃなかろうか。
三十歳を目前にして再び暴行事件で逮捕され、起訴もされた私を相手にするような人間は、もはや誰もいなくなっていた。これに先立っては、研究小冊子を作成する程に打ち込んでいた田中英光の私小説に対しても、向後は熱意を継続させることが許されなくなっていた。随分と良くして頂いていた、その作家の遺族のかたに酔って暴力を働き、出入り禁止となった爲である。自省の念からも、田中英光の四文字は自身の内より消し去らざるを得なかったが、同時にすでに英光イコール小説となっていた故に、その方面への興味も無理に断ち切る格好となった。
そんな四面楚歌に加えて、自らの楽しみも何もなくなってしまった現況は、すべては自業自得のなせる業である。何から何まで自分が悪いのである。が、そうは思ってみても、この状況は案外に心が苦しかった。気力と云うものが湧いてこない。只管に、自分と云う人間が情けなくてたまらぬ思いに打ちひしがれていた。
藤澤淸造の私小説である『根津権現裏』をもう一度読んでみたのは、つまりはこの状態に対する苦し紛れと云った心境からであったに相違ない。以前に一度、抄録物を読んでいた。妙にネチネチとした、くど過ぎる程にくどい文体でもって一つ事を延々と語り続けるその小説は、全体の半分以上がカットされた抄録で読んだだけでも、一種異様な雰囲気があった。無論、いい意味での異様さではない。成程、この私小説家が往時も今もマイナー的存在として扱われている理由も窺い知れた思いであったが、しかし作中の毒々しく横溢する呪詛と怨嗟のリズムは、何か不可思議なユーモアを内包していた。泣き笑いにも似た哀しみの中に、どこか〝粋〟を感じさせる要素が含まれていた。田中英光の男臭い、カラリと乾いたユーモアとは対局にあると云うべきドス黒く鯔背なユーモアだが、初読当時、そこに魅かれるものが確かにあった。なので、それを思いだしたときに、この小説世界がもしかしたら現在の自分が置かれた状況、それに伴う心境にいい塩梅にフィットするかもしれぬとの期待が生じ、再読する気になったのだ。もう、その方面とは無縁でいることを心に期していたはずが、つい再読する気になってしまったのだ。
結果は、期待以上であった。合致どころか該小説は、このとき予想を凌駕する止血剤の効果を発揮した。
西村賢太「廻雪出航」
短編小説としてきっちり迫力ある作品を書いている筆頭はやはり西村賢太さん。文學界も純文学作家も記憶から消し去ってしまっているようだが、私小説は基本三十枚程度の短編だった。
芥川賞は後期芥川龍之介の私小説を理想として創設された賞であり、テーマは様々に変わって来たが厳然として私小説偏重なのは言うまでもない。私が語る一人称か太郎や花子が主人公の三人称かは別として、芥川賞受賞作品は人間の内面を表現する小説という暗黙の了解がある。それゆえ文学の世界全体で純文学とは内面小説だというコンセンサスができあがっている。それ以外の純文学の定義を見つけられていないのだ。面白い小説は自動的に大衆文学(直木賞)に分類されるわけだが、読んで面白い小説に純文学的要素が不足しているわけではない。ただ小説の面白さは事件によって生じる。主人公の内面ではなく、事件が起こることで主人公の内面心理が喚起され変化してゆく。そうすると必然的に芥川賞的内面小説(私小説)ではなくなる。ゆえに大衆文学。実に馬鹿馬鹿しい話である。
逆に言えば私小説が短編なのは事件が起こらないからである。西村さんの「廻雪出航」でも事件らしい事件は起こらない。主人公は私で、ただでさえ文学の世界でマイナーないわゆる大正私小説作家の、さらにその中でも群小作家と見なされている藤澤淸造の事績を個人的に研究するために、経済的に無理をして淸造の生まれ故郷の能登半島の七尾にアパートを借りたというだけの話である。もちろん他者との接触はあるが事件と呼べるほどではない。ひたすら私(主人公)の内面が描かれている。私の内面だけを描く小説が短編になるのは必然である。
ただ短編だろうと私小説で読者を惹きつけ一気に読ませるのは難しい。「廻雪出航」で言えば私は追い詰められている。暴行事件を起こして友人知人から見放され、生きる糧として続けていた私小説作家・田中英光研究もご遺族の方に迷惑をかけて絶縁されてしまった。経済的にも裕福ではない。にも関わらずすがるようにして見出した新たな生きる希望、藤澤淸造研究のために東京と七尾に部屋を借りて研究を続けている。もちろん〝その先〟のあてはない。主人公は学者でも小説家でもないのだ。ただどうしようもない執着と使命感だけがある。「この小説家(藤澤淸造)の残影を追うことで一生を棒にふる腹を固めてかかっていたのである」とある。その切迫感が「廻雪出航」を魅力ある作品にしている。
優れた私小説では私の心理は短時間で激しくアップダウンする。「廻雪出航」もそうで、私は目標のない行為に自ら呆れ絶望しながら、しかし、しかしと希望を模索する。もちろん現世的なハッキリとした希望、手に取ることができる社会的成果としての希望が得られるわけではない。絶望と希望との間を激しく往還するのが私小説の心理描写である。それはほとんど禅の修行に近い。禅者は汚濁にまみれた現世に絶望して修行によって悟りの境地に至ろうとする。しかし生きたまま悟りの境地に至るのは難しい。覚者と呼ばれる禅の高僧は悟りに至った者だが、禅は生身の人間は悟りの境地に安住できないと説く。私小説作家は禅の修行者のように苦悩とそこからの超脱(の指向)を往還する。それを繰り返せば悟りのような境地が見える瞬間がある。しかしそこに安住できない。また濁世に戻ってくるのである。
この私小説の構造を、ほとんど理知的に、正確に理解しているのが西村賢太という作家である。大正私小説作家と同様の極私的私小説作家でありながら、日本文学史上で唯一の例外として私小説を量産できている理由もそこにある。西村さんは繰り返しを恐れない。藤澤淸造絡みの小説は「廻雪出航」以外にもたくさんある。普通の小説家ならテーマが重なっていると考えて書くのをためらう。しかし西村さんは何度も同じテーマの小説を書く。禅の修行と同じで毎回絶望と希望の間を激しく往還する人間心理が異なるからだ。希望に近づいたとして、その光がチラリと見えたとしても、人間はそこから濁世に戻ってくる。ただ濁世に戻ってきたとき、必死の希求によって人間心理はほんの少しだけ変わっている。
「廻雪出航」でいえば藤澤淸造『根津権現裏』の再読が希望(の欠片)ということになる。私はこの「くど過ぎる程にくどい文体」に可能性を、希望を見出した。「廻雪出航」の舞台は一九九七年。実際に作品が書かれたのは二〇二一年である。西村さんは今現在は芥川賞作家であり、押しも押されぬ日本を代表する――ということは、日本文学を代表する私小説作家である。しかしそんなことは作家にとってはどうでもいい。何度でも自己の絶望を抉り、微かな希望を見出すのが私小説である。まったく同じ小説題材だろうと小説試行が始まれば、その都度違う微かな希望に至り着く。それが私小説というものである。
日本の私小説はいつの頃からか引き延ばしに入った。まあはっきり言えば、日本の一般社会で一番話題になる芥川賞受賞作をすぐに単行本化できる枚数である、一五〇枚から二〇〇枚ほどの中編に私小説を引き延ばしていったわけだ。私の心理は風景描写によって引き延ばされ、他者との会話によって引き延ばされる。他者とは自己ではない絶対不可知の存在だが、そんな絶対他者を設定してしまうと私小説ではなくなる。なぜか。事件が起こるからである。だから私小説モドキ作品では他者は自己の内面心理を掻き立てるだけの、中途半端な他者になる。また中途半端な私小説なので絶対的希望、絶対的絶望という〝結論〟を急ぎやすい。良心的作家はそれでは私小説でなくなると直観でわかるので、二〇〇枚読んでも冒頭に帰って来るような小説を書く。つまり双六の始めに戻る。例外的に物語をうまく取り込んだ私小説がヒットすることはあるが、たいていの芥川賞系私小説は〝始めに戻る〟小説である。この構造は作家や読者が芥川賞恐怖症に罹っている間は変わらないでしょうな。
大篠夏彦
■ 西村賢太さんの本 ■
■ 金魚屋の本 ■