オール様は九・十月号合併号です。三・四月も合併号ですから年十二冊刊行から十冊に減ったわけです。これはヤバいわよね。前にも書きましたがアテクシ、文藝春秋社様の文芸誌で号数が減るなら文學界様よねーと思っておりましたの。でも元々不況の純文学誌の方がコストがかかる大衆誌よりも強いってことなのね。んでただ合併号を出すだけじゃカッコがつかないわけで、三・四月、九・十月合併号は直木賞発表号です。良い子の皆さんはあまり意識しておられないと思いますが、芥川賞や直木賞は別に政府とかが出してる純粋な小説評価賞ぢゃなくって、財団が出しているというテイですが実質的に文藝春秋社様の独占コンテンツよ。文藝春秋社様が長い年月をかけて日本を代表する文学賞に育て上げたのですわ。
第一六三回直木賞は馳星周先生の『少年と犬』が受賞なさって大きな話題になりました。アテクシもちょっとビックリしましたわ。馳先生、もうずっと前から押しも押されぬ売れっ子作家様よね。やっぱ「なんで今さら?」と思ってしまったのですわ。でもま、馳先生くらいのステータスになると、直木賞がどうしても欲しいというより「なんでもらえていないわけ? 気持ちわりーなー」という感じになるでしょうね。売れっ子作家様はうらやましがられる存在ですが、もの凄く大変なことをやってらっしゃるのよ。出版社の要請にできる限り応じてお作品を絞り出しておられるの。そういった努力とご苦労に出版側が応えて差し上げないのはやっぱ冷たいわよね。馳先生、おめでとうございます。
「多聞・・・・・・多聞」
多聞がこちらに向かって駈けだした。だが、リードが伸びきった瞬間、多聞はミゲルに引き戻された。
「待ってくれ、多聞――」
和正は腕を伸ばした。だが、ミゲルは多聞を抱きかかえ、駆けだした。
「多聞・・・・・・」
震えが止まらない。痛みは激しさを増していく。
多聞をどこに連れていくつもりだ。ミゲル? 母さんと姉ちゃんはどうなるんだ、ミゲル?
ミゲルと多聞の姿が見えなくなった。
「ごめんよ、母さん、姉ちゃん」
和正は呟き、目を閉じた。
馳星周『少年と犬』より「男と犬」
馳先生の『少年と犬』は六編から成る短編集です。主人公は多聞という名前のシェパード系の雑種犬で、とても利口な犬に設定されています。ただ主人公といっても多聞は犬ですから、その感情を言葉にして表現するわけではありません。多聞は人間たちに寄り添いその行動と心理をじっと見つめている。傍観者であり負の主人公なのですね。それぞれの短編ごとに実質的な主人公である人間たちが造形されています。
「男と犬」の実質的主人公は仙台に住む和正という青年です。東日本大震災から半年ほどしか経っていない時期に設定されています。震災で勤めていた水産会社が倒産して、盗品売買の裏稼業を行う昔のやんちゃ仲間の沼口の危ない仕事を請け負っています。和正には痴呆が始まった母親がいて姉が面倒を見ていますが、母と姉が困らないようにお金を稼ぐ必要があるのでした。
『少年と犬』には東日本大震災で人々が負った傷が主調低音のように流れていますが、原発問題などありきたりな社会主題に頼ることなく、ある意味反社会的な震災の側面を描いているのが馳先生らしいところです。また負の主人公である犬の多聞という名前には明確な意味があります。
多聞は言うまでもなく仏教の四天王のお一人で、多聞天の略です。闘争神として知られています。つまり犬の多聞は何かと闘っている、あるいは何かに向けて闘っている。ただ多聞は利口でおとなしい犬として描かれていますので、各短編で実際に闘うのは実質的な主人公の人間です。
「男と犬」の実質的主人公・和正は、沼口に頼まれてミゲルという外国人がリーダーの窃盗団の逃走用の車の運転手を請け負います。二度は無事に仕事を終えますが、三度目の仕事で得体の知れない男たちに襲われ交通事故を起こしてしまう。そのまま和正は亡くなってしまいます。
東日本大震災を舞台にして、こういった社会の裏面を描いた作家は馳先生くらいでしょうね。小説は社会倫理とは無縁の表現です。どうしようもなく足掻き、闘争して敗れて死んでいった人は大勢いる。その残酷を描くのも小説の務めです。
「なんだ?」
振り返ろうとして、トンバと初めて出会ったときのことが脳裏をよぎった。
「熊?」
ツキノワグマと出くわす恐怖に足が竦んだ。走るのをやめる。慣性を殺そうと脚に力を入れると、右の内股の筋肉が攣った。
「痛っ!」
痛みに顔をしかめ、左足だけで立った。その足もとがぐらついた。浮き石を踏んでしまったのだ。
やばい――そ思うのと同時にバランスを失った。体が左に傾き、左足が宙に浮いた。(中略)
「トンバ、紗英――」
愛する者たちの名を呼んだ。なにかに体が激しく打ちつけられ、大貴は意識を失った。
同 「夫婦と犬」
「夫婦と犬」の実質的主人公は大貴です。富山県の山間部でアウトドアグッズの店を開いていますが、四十歳にもなるのに商売には身が入らず、スキーや未舗装の山道などを走るトレイルランニングに夢中です。悪い男ではない。それどころか周囲からは誰とでもすぐに仲よくなる好青年と思われています。ただ誰とでもすぐ仲良しになれる性格は浮ついてもいるわけで、妻の紗英にはとっくにそれを見抜かれています。見抜くどころか紗英は夫に絶望していると言っていい。
大貴の脳天気とも無目的に前向きとも言える性格は生来のもので、紗英が何を言っても直らない。紗英は夫の底抜けの明るさに惹かれた自分を後悔すらしています。しかしもう手遅れです。大貴のアウトドアグッズの店は趣味であり、家計を支えているのは無農薬野菜などをネット販売している紗英なのでした。
大貴は山の中でトレランしている時に痩せ細った多聞に出会い、激しく吠えつかれます。しかしそれは自分への敵意ではなく、近くにいたツキノワグマを撃退するためでした。大貴はそれに気づいて多聞を飼い始めます。ただ大貴は多聞をトンバと呼び、妻の紗英はクリントと呼びます。本当の名前は多聞という犬を、夫婦が別の名前で呼ぶわけです。ここにも夫婦の修復し難い亀裂が表れています。また多聞は遠く仙台から富山まで移動して来たことが示されています。『少年と犬』連作は最初の飼い主を失った多聞の放浪の物語であり、各地で出会うかりそめの飼い主たちの物語でもあるわけです。
大貴はトレランの練習中に浮き石を踏んで、谷底に滑落して死んでしまいます。大貴は妻の紗英の苦悩に気づいていなかったわけではない。なんとかしたいと思いながら、後少しだけと考えて解決を先延ばしにしてきたのです。紗英の方もキッパリ大貴と別れるほどの決心はなかった。心のある部分では夫を愛していた。しかし事故が大貴と紗英夫婦の問題を残酷に断ち切ったのです。
短編ごとに残酷な結末を迎える人間たちの、馳先生ならでは小説ですわね。小説における一番の贅沢は、読者が感情移入し始めた主人公を殺してしまうことですから。この事故の後、当然のことですが多聞は紗英の前から姿を消します。
「多聞は光を守った。わかってるな?」
光がうなずいた。
「倒れてきた壁の下敷きになったとき、多聞は大怪我をしたんだ。そして、死んだ」
光は瞬きを繰り返した。
「だから、多聞はもういない」
「違うよ、お父さん」
光が言った。言葉は明瞭だった。
「なんだって?」
「多聞、いるんだ。ここに」
光は自分の胸を指さした。
「あのね、あの時、ぼく、多聞の声が聞こえたんだ。だいじょうぶだよ、光、ぼくはずっと光と一緒にいるからね、だから、なんにも心配することないんだよって」
内村は久子に顔を向けた。久子目から涙が溢れていた。
光がこれだけ長い言葉を発するのはこれが初めてだった。
同 「少年と犬」
「少年と犬」の実質的主人公は内村という中年男です。東日本大震災で被災して家を失い漁師の仕事もできなくなって、釜石から熊本に移住して妻の久子と農業を営んでいます。最後の短編で『少年と犬』の主調低音である東日本大震再び再び正面から取り上げられたわけです。
内村と久子夫婦には光という一人息子がいますが、大震災のPTSDで震災以降、一言も口をきかずに絵ばかり描いています。謎解きは実際に小説を読んでお楽しみくださればと思いますが、多聞の日本列島横断の旅は光に再会するためのものでした。ただ光との再会は、これもまあ当然のことですが多聞の死に繋がります。
夫婦は熊本で、東日本大震災に引けを取らない震度の熊本地震にあいます。故郷と移住先の熊本で二度も大震災に遭遇するのは残酷ですね。ただこの残酷さが馳先生の持ち味です。しかし救いを設定なさっています。内村の古い民家は震災で倒壊しますが、多聞が光の上に折り重なるようにしてその身体を守ってくれたのです。また多聞の死を知った光は言葉を発し始めます。光の口を通して多聞も言葉を発する。連作短編小説にふさわしい大団円ですわ。
ただこの結末、馳先生らしくないと言えばらしくありませんわね。だけど切迫感があります。アテクシ、最後の短編を読んで泣きましたもの。この切迫感は、恐らくですが、馳先生がこういった結末を予め用意なさっていたわけではないから生じたのかもしれませんわね。馳先生的にはちょっと掟破りですがこれもありね。先生、少し優しくおなりになりましたわ。
佐藤知恵子
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