紅の花ふと大正午が坐りおる
『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍収録の『墨書句解題』で田沼泰彦さんが書いておられるが、この句に表れる『大正午』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ(かく語りき)』の最後の言葉のようだ。僕が読んだのはニーチェ哲学の碩学・手塚富雄さんの翻訳である。ちょっと長いが該当箇所を引用しておく。
「・・・『おお、ツァラトゥストラよ』とかれ(預言者のこと)はわたしに言った。『わたしはあなたをあなたの最後の罪へ誘うためにやって来たのだ』と」
「わたしの最後の罪?」ツァラトゥストラは叫び、そして自分自身のことばにたいしていらだたしげに笑った。
「いったい最後の罪として、わたしが手をつけずにいたようなものがあったのか」
――そしてツァラトゥストラは、もう一度思いに沈み、あの大きい石にまたも腰をおろし、考えに考えた。突然、かれはおどり上がって言った。――
「 同情だ。高人たちにたいする同情だ」と叫んだ。いまや、彼の顔貌は鉄石のそれになった。「よし。その同情の季節は――過ぎたのだ。
わたしの悩み、そしてひとの悩みへのわたしの同情、――それがわたしに何のかかわりがあろう。いったいわたしはわたしの幸福を追求しているのか。否、わたしの追求しているのは、わたしの事業だ。
よし獅子は来た。わたしの子どもたちは近い。ツァラトゥストラは熟した。わたしの時は来た。――
これがわたしの朝だ。わたしの日がはじまる。さあ、のぼれ、のぼってこい、おまえ、偉大な正午よ」――
ツァラトゥストラはこう語った。そしておのが洞窟をあとにした。暗い山々からのぼる朝の日のように、熱火と力にみちて。
(『ツァラトゥストラ』『第四・最終部』『徴(しるし)』手塚富雄訳)
僕が説明するまでもないことだが、ニーチェはヨーロッパ哲学において、初めて明確にアンチ・キリスト哲学を打ち立てようとした人である。実存主義を嚆矢とする二十世紀無神論哲学は、ニーチェから始まると言っていい。彼は神のいない世界を導くのは『超人』だと考えた。その思想を自由な散文詩形式で記述したのが『ツァラトゥストラ』である。
『ツァラトゥストラ』で主人公の『わたし』は洞窟に住んでいる。言うまでもなくこれはプラトンが『国家』などで語った洞窟の比喩を踏まえている。プラトンの不変(普遍)のイデア-洞窟の入り口から差す光そのもののこと-を求める哲学は、キリスト教世界に流入して不変の神を探究するヨーロッパ哲学(神学)になった。ヨーロッパ哲学はプラトンのイデア論に対する膨大な註釈だと言われることがあるが、そういう言い方もできるだろうと思う。
『ツァラトゥストラ』の『わたし』は洞窟に住んで『高人たち』を導いている。しかし最後に彼らを見捨てて洞窟を去る決心をする。仲間だが導き手を必要とする高人たちへの『同情』さえもかなぐり捨てるのである。なぜなら『わたし』が追求しているのは『わたしの幸福』ではなく、より上位審級にある公的な『事業』だからである。『わたし』はあらゆる理解者・同伴者を捨てて、自己の『事業』に邁進することを決意する。それが『わたし』の『偉大な正午』だと語られる。手塚さんの翻訳は口語調で読みやすいが、他の訳では『偉大な正午』は『大正午』になっているかもしれない。
安井氏の『紅の花』が、ニーチェ『ツァラトゥストラ』の『大正午』を踏まえているとすれば、それは氏の独立独歩の気概を表していると読み解くことができるだろう。もちろん純粋に赤い『紅の花』と、夏の空に燦々と輝く『大正午』の赤い太陽を対比させた句だと読んでもいい。ただ『紅の花』に表れる『ふと』は『ツァラトゥストラ』とは関係がないようである。そこでここでは安井俳句における『ふと』の意味について、簡単に考察してみたい。
『ふと』は漢字では『不図』と書く。『図ら不(はからず)』であり、意識していなかったのに、気づけば○○だった(していた)というくらいの意味である。公式図録兼書籍を読むと、安井氏は正岡子規の信奉者だった父・栄一郎氏から俳句を学んだようだ。写生俳句では作家の主観表現を嫌うから、安井氏の『ふと』の使い方は意図的なものだろう。ちなみに処女句集『青年経』では『ふと』は使われていない。第二句集『赤内楽』、第三句集『中止観』には各一句ある。第四句集『阿父学』では三句、第五句集『密母集』では四句見つかった。『紅の花』が収録された第十句集『汝と我』には六句ある。『ふと』は『阿父学』あたりから意識的に使われ出したようだ。
『阿父学』が刊行された昭和四十九年(一九七四年)に、安井氏は初めての評論集『もどき招魂』を刊行している。普及版を含めて百部ちょっとしか刊行されなかった稀覯本だが、安井氏の俳句に対する高度な思考が開示されている。最も重要なのは表題作『もどき招魂-俳句にとって自然とは何か』である。この論考で、安井氏は俳句という絶対不可知の神(とりあえずそう言っておきます)に接近するには、『もどくこと』、御神楽や祭りの翁のように、人間と神の中間の存在として、風狂を生きる必要があると論じている。同じことを安井氏は、『補陀落渡海』や『断食』の喩で説明している。それらは絶対不可知である『死』に行き着くための行為だが、死はなんら問題ではない。意図的に死にゆく時間を作り出し、生のまま、可能な限り死に同化することが重要なのである。
勘のいい方はもうお気づきだろうが、安井俳句の『ふと』は、この『もどき』の思想を端的に表した言葉だと言うことができる。俳句は神や死と同様に絶対的不可知である。五七五で季語を含むのが俳句の一般的な姿だとはいえ、破調でも季語がなくても俳句は成立する。しかし誰も俳句の本姿を捉えたことがない。だから枠組みはあり、厳密な形式は存在しないこの芸術の本質を捉えようとすれば、究極的には俳句と同化するほかない。しかしそれは不可能である。俳句そのものであるかのように、『もどく』ほかに、俳句への接近の方法はないのである。『ふと』振り返り、その姿を目の端に捉えるのである。
ただこれも俳句の一つの読解法に過ぎない。公式図録兼書籍で墨書を眺めていると、そんなことはどうでもいいという気持ちになってくる。安井氏の墨書の『大正午』はどっしりしている。『大正午』は擬人化されているが、誰もそれを絵にすることはできないだろう。ただ墨書をじっと眺めていると、その姿は見えないが、確かに目の前に『大正午』が座っているような気がしてくる。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■