天蓋は吊り上げられて早稲の花
『安井浩司『俳句と書』展』公式図録兼書籍を見ていて『天』から始まる墨書句が多いことに気づいた。『天蓋は吊り上げられて早稲の花』のほかに、『天地書をもて顔かくす芋嵐』、『天上の響き語なれや麦の秋』、『天心まで一字の蝶と思うかな』、『天動のひるすぎて蜂みな静か』、『天類や海に帰れば月日貝』の6句がある。出品30作品のうち、実に5分の1が『天』字から始まる句なのである。
『でもそんなの偶然じゃないの?』と言う方もおられるかもしれない。しかし安井氏は今回の墨書を『遺品』だと言われた。僕も皆さんと同じようにそうならなければいいなと思っているが、安井氏が今回の墨書をご自分の人間的手触り、息吹そのものだという意識で制作されたのは確かなようだ。そのような覚悟を持った俳句作家が、『天』字から始まる句をなんの意図もなくお書きになったとは思えないのである。
太陽氏よ、君の軽羅のような贈物は超経験の隕石である。 それはぼくの純白の胸を叩く 霰の墓碑銘は純白の中心を遊泳し、 金羊毛の海賊が眠っている。 見給え、太陽氏よ、君の永眠の上に純白の鶴が舞う。 君の永眠の帯青色の部分に愛蔵された鯉の謔語が球形の虚偽を告白する。 ぼくは何も知らないものではないのだ。 たとえば君の出入する扉口。 君のネオンの寝台は無限の眼で装飾されている。 無限の時間の遭遇の眺望、眼ざめた金剛石の潜水夫・・・
(『実験室における太陽氏への公開状』最終部 瀧口修造)
引用は瀧口修造というシュルレアリスム詩人の散文詩で、昭和5年(1930年)に発表された。瀧口さんは戦後の日本の前衛美術をリードされた方で、僕のような詩の専門家でない人間でも、美術に関わる以上、作品に目をとおさなければいけない詩人になっている。難解で知られる『現代詩』の祖型になった作品をお書きになった方である。
丁寧に読んでも、多くの人が『う~ん』とうなってしまう詩だと思う。長いあいだ、僕も瀧口さんの詩に悩まされてきた。しかし文学金魚の非公式の会合で詩人さんたちからこのような詩の読解方法を教えてもらった。『まとまった意味がある詩として読んではいけないんだよ。ひとつらなりの文として意味が通らないときは、単語要素に分析すればいいのさetc・・・』。
詩人さんたちの読解法を簡単にまとめれば、瀧口氏の詩は単語から読み解ける。『太陽』、『純白』、『永眠』、『無限』などの単語からこの作品の主題は読解できるのである。『太陽』、『純白』といった言葉は、瀧口氏がある絶対性へ接近しようとしたことを示している。ただそれは判断停止の『永眠』、『無限』の境地でもある。『無限の時間の遭遇の眺望』とあるように、眺め描写するしかないのである。そのため瀧口氏は『実験室における太陽氏への公開状』という詩にまとまりをつけられず、この詩篇は未完で終わったのではないか、と詩人さんたちはおっしゃっていた。
詩人さんたちはまた、『現代絵画だって、具体的に何が描かれているのかということだけから、作家の意図を読み解くことができないだろ。色や線、時にはほんの微かな傷なんかから作品の主題を読み解くことがあるはずだ。それと同じだよ』とおっしゃった。確かにそのとおりである。なんのことはない、いつも僕が絵でやっていることを文学作品にも適応すればよかったわけだ。でも次に、じゃあこの方法はすべての文学作品に応用できるのかという問題が起こってきた。自由詩には適応できることがわかった。しかし俳句や短歌ににも援用できるのだろうか。
俳句評論はそのほぼすべてが『評釈』である。作家がいつ、どこで、どのような心境で、どういう意図で言葉を組み合わせたのかが事細かに分析されている。徹底して作家の実存に即した読解が為されているのである。このような評釈に対して僕は常々疑問を抱いてきた。この疑問に解決の糸口を付けてくださったのは、金魚屋で俳句批評をやっている岡野隆さんだった。曰く『評釈ですべての俳句作品が読み解けるわけがない。俳人は俳句は日本文学の基層であり、どこかで日本人なら誰でも俳句を理解できると思っているから現実一対一対応の評釈が生まれる。しかしそれは俳人の傲慢に過ぎない。現実との一体一対応で読み解ける俳句は、作家が有季定型写生俳句と表現上の契約をしている場合だけだよetc・・・』。
ちょっと話が脱線気味になってしまったが、優秀(?)な金魚屋自由詩・俳句部門の批評家さんたちの話を総合すると、墨書展での安井氏の『天』字多用には理由があるのではないかという僕の読解は充分可能なようだ。簡単に言えば、至高の極点に向かいたいという安井氏の意図が『天』字で始まる句を選ばせたのではないかと思う。縦長の軸で『天』字で始まる墨書というのは、美術的に言ってもとても好ましいものだと思う。
『天蓋は吊り上げられて早稲の花』の『天蓋』は、基本的には仏像の上に設置される覆いのことであり、尊い仏像から放射される荘厳の表象である。最も有名なものに法隆寺金堂内陣の東・中・西の仏像の上に懸けられた天蓋がある。1500年近く経った今はくすんでしまっているが、創建当時は極彩色に彩られていた。天蓋には様々な装飾がほどこされている。奏楽菩薩などもいる。音が出る仕組みはないが、天蓋の奏楽菩薩が奏でる尊い音で仏像を包み込んでいるという意匠である。熱心な仏教の信者だった飛鳥・天平時代の人々は、天蓋が発する聞こえないはずの音を、確かに耳で幻聴していたのかもしれない。
■法隆寺西の間天蓋(飛鳥時代7世紀)■
法隆寺の天蓋と仏像の構造と比較すると、安井句の『早稲の花』は『仏像』に相当することになる。また『吊り下げられて』ではなく『吊り上げられて』と書かれていることから、天蓋は上へ上へと上昇しているイメージで捉えられている。このような俳句作品を現実との一体一対応で解釈するのは無意味である。『早稲』は秋の季語であり地上の実りを表す。その豊饒な実りが発する力によって『天蓋』は晴れ渡った秋空高く登ってゆく。『早稲』という俳句的な俗語と『天蓋』という仏教用語を組み合わせることで、安井氏は自身の世界観を表現しようとされたのではないかと思う。観念的な句だが、秋空高く天蓋が浮き上がると早稲の花が現れる光景を具体的にイメージした方が、この句は理解しやすいと思う。
山本俊則
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■