遠藤徹さんの連載小説『物語健康法(入門編)』(第06回)をアップしましたぁ。『物語健康法(入門編)』は小説の力、物語の力というものを考える上でとても重要な作品です。今回は政治学者の上条憲吉の語りの続きで竜宮城モドキの物語です。どんな物語なのかは実際にお読みいただくとして、語りや物語は現代では昔とはまた違う力を持ち始めています。
『物語健康法(入門編)』ではいろんな人が登壇して物語を語ります。それぞれに面白い。中には強く人々の興味を惹きつける物語も出て来ます。短編が多いですが、原理的には中編や長編も生まれるでしょうね。主催者の真田寿福は語りの会をプロ小説家を目指すための会ではない、名誉や利益を求めるための会ではないと言っていますが結果としてそれが得られることもあると思います。このシステム、期せずしてでしょうが、どんどん一般化してくると思います。
文筆の世界に限りませんが、プロとは素人が及びもつかない圧倒的力を持った人を指します。物書きの場合は思想・技術ともに図抜けている人がプロです。しかしそういった人は少なくなっています。特に純文学と呼ばれる世界ではそうです。石川はYouTubeの文学金魚ちゃんねるで何度も言っていますが、純文学は単純に言うと文学の中の最も純な部分を指します。それを表現している作品が純文学です。そして純文学はその性質上、なかなか人々を楽しませることを主眼にできない。退屈でも難解でも文学にとって重要な事柄が書かれていなければならない。そしてこの文学にとって重要な事柄は現代の本質を射貫くことで得られます。さらに言えば現代の本質を射貫くことは、作家個人の実存在に深く依拠します。つまりプライベートな表現を含まざるを得ない。もの凄く乱暴に言えば純文学は作家個人のミーイズム的自我意識表現から逃れられないところがある。自己中でなければ純文学は書けないところがあります。純文学作家はまず何よりも自己存在と現代の本質を描き出すために作品を書くのであり、それが正しければ社会的通有性を得ることがある――つまり本が売れたりすることがあるということです。
しかし戦後社会から高度情報化社会に世界が大きく変化しつつある現代に、世界の本質を捉え切れている純文学作家はいない。石川が見る限りまだハッキリとは現れていません。つまりほとんどの純文学作家はプロとは言えない。純文学作家はまず何よりも自己の思想や感覚表現を優先しますが、それが社会的通有性(現代社会の本質)に届いていないからです。作家でプロと言えるのは今はエンタメ系の作家だけでしょうね。彼らは月産300枚、500枚書きます。自我意識の主張を抑えて読者を楽しませます。自己中ではない。加えて決して素人にはできない筆力とアイディアを持っています。
では作品で現代の本質、つまり純文学を表現できていない作家がプロであろうとするとどうなるのか。多くの場合、既存の権威にすり寄ることになります。何よりも作品を書くのに血道を上げるのではなくプロと呼ばれることに価値を見出す。小説家や詩人の矜持というやつです。それを与えてくれる権威を求めるわけです。しかし寄らば大樹の陰であったはずの大樹が揺らぎ始めています。これだけ純文学が売れない時代に既存メディアが昔ながらの体制を維持できるはずがない。たとえ有名な文学賞をもらってもその後、作家として安定的に活動できる時代はとっくに終わっています。たまさか一冊本が売れても次が続かないことがほとんどです。じょじょにフェードアウトしてゆく。
ユーチューバーという人たちがいますね。作家などは彼らを馬鹿にしがちですが、小中学生にアンケートを取るとなりたい職業の上位に入ったりします。彼らはコンテンツを自己発信して広告収入なりなんなりを得ます。一握りですが生活できている人もいる。これはこれからの一つのコンテンツ発信のプロトタイプになるでしょうね。
純文学作家が知的にも感覚的にも現代社会をしっかり捉えている特権的創作者でない以上、現代を捉えるヒントは多くの人が発信する情報と等価ということになります。ツイッターなどにも現代を捉えたチップスはたくさん落ちています。作家の発言等々が特権的であるわけではない。むしろ特権的だと思い込んでいればいるほど嫌味になる。物語を例にするとネット上などに現れる無数の物語が現代社会の核、つまり新たな純文学になり得る可能性はあります。そんな自己発信的コンテンツ中から優れたものを掬い上げるのがこれからのメディアの一つの仕事になってゆく可能性は十分あります。
物語は誰でも書けるのか、書けます。詩は誰でも書けるか、書けます。情報発信と的確な伝達ルートが確保され、作家に筆力と自らの作品への確信があれば中間メディアの役割は相対的に低くなる。つまり読者とほぼ直に繋がることができる。作家と読者を繋ぐ中間メディアの力が相対的に弱まれば、作家の自助努力が益々重要になるということです。もちろんこれは文学の未来像の一例ですが、もはや座布団敷いて座ったままもの凄く権威のあるメディアから声がかかるのを夢みている時代ではないのは確かです。
遠藤徹さんの『物語健康法(入門編)』はまだまだ続きますが、その作品の性格上、既存文学メディアの批判をも含みます。ある意味予言の書でもあります。こういった形のエンタメ純文学小説はアリです。
■ 遠藤徹 連載小説『物語健康法(入門編)』(第06回)縦書版 ■
■ 遠藤徹 連載小説『物語健康法(入門編)』(第06回)横書版 ■
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