連載翻訳小説 e.e. カミングス著/星隆弘訳『伽藍』(第38回)をアップしましたぁ。今回は長いワンセンテンスですが、アメリカの詩人らしい散文です。カミングスさんは小男で修理屋と呼ばれる人について語っているのですが、修理屋は苦しんでいます。「悲惨(ミゼール)が彼の心を捉えて放さない。そこから解放されるには収容所からの「釈放(じゆう)」しかないわけですが、彼一人の釈放では修理屋の心は救われない。なぜなら修理屋は収容所の「永久不易な醜悪さ」を憎んでいるからです。すべての仲間が収容所から釈放されなければ修理屋の心は救われない。修理屋は掃き溜めの掃き溜め中の聖人です。
エズラ・パウンドは『ABC of Reading』の中で、詩人らしい格好をして詩人らしいフレーズを口ずさみ、詩人らしい話し方や所作をする詩人を口を極めて〝エセ詩人〟だと罵倒しています。「奴らは底の浅い〝詩的な詩〟が好きなだけで、本当の〝詩〟がどういうものなのか知らない」と罵倒している。パウンドに賛成ですね。日本でもエセ詩人がものすごく多い。詩的なアトモスフィア(雰囲気)が詩に消化されなければ、本物の詩とは言えません。〝詩的〟と〝詩〟はまったく違う。
アメリカ詩人――特にモダニズム詩人の特徴に現実に即した残酷な詩の表現があります。20世紀初頭という、フランスサンボリズムの影響色濃い時代にも関わらず、アメリカモダニズム詩人は象徴主義の影響をあまり受けなかった。それがアメリカ詩を特権的な表現にしました。資本主義社会に即した残酷で冷たく、それでいて底の底まで見通すような詩が生まれたわけです。その方法は現在も有効です。今の社会で曖昧でわけのわからない詩的な表現が多くの人から支持されるわけがない。
つまらないことに本家アメリカでは80年代頃からヨーロッパの影響が強くなり、サンボリズムはもちろんポスト・モダニズムの影響が強くなりました。アメリカ独自の表現が薄れていったのです。ただポスト・モダンの根底の不在は一回確認すればそれで十分。世界を構成しているのは不在の根底ではなく相変わらずそこから派生する社会です。パウンドは「農夫のように詩を書く」のを理想としましたが、カミングスも同じです。短く抒情的な詩がカミングスの代表作になりましたが、その徹底した現世の肌触りは処女作『伽藍』から変わっていません。
■ e.e.カミングス著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第五章 大部屋の面々』(第38回)縦書版 ■
■ e.e.カミングス著/星隆弘訳 連載翻訳小説『伽藍』『第五章 大部屋の面々』(第38回)横書版 ■
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