鶴山裕司さんの連載長篇詩『聖遠耳 Sei Onji』(No.011)をアップしましたぁ。金魚屋から『日本近代文学の言語像Ⅱ 夏目漱石論-現代文学の創出』を好評発売中の鶴山裕司さんの長篇詩2,187行です。今回は段連詩が多用されていますね。パウンドやW・C・ウィリアムズらアメリカ20世紀初頭のモダニストが多用した詩法ですが、日本では吉岡実が詩集『薬玉』で独自の詩法にまで高めました。横文字と縦文字表記では段連詩といっても自ずと使い方を変えなければならないということです。
自由詩に限りませんが、短歌・俳句の世界でも過去の優れた作家の詩法を援用する作家が増えています。しかしどー見ても様になっていない。小手先で真似してることが作品を読んでいてわかってしまう。詩人はプライドが高いそうですが、そうであるなら一つの詩法が詩人独自の思想に支えられていることを十分理解しているはずですね。単に表面的に技法を真似しても読者にはその必然性が伝わりません。
目を覚ますと薄曇りの午前五時半
じゅうぶん本を読める光がある
多分 今日も晴れだろう
「レインちゃん 黄色い舌をして
素敵なソプラノの花嫁」
だいぶ前から吉岡実の『神秘的な時代の詩』が気になっている
毎年命日の五月三十一日には
彼の詩を読むことにしている
吉岡さんは硬質な『静物』の言葉から始めて
『神秘的な時代の詩』でそれを崩した
あるいは崩れた
時代の変化が『静物』のような表現を許さなくなった
それは僕も同じだ
一つの表現がその生命を維持できるのは
せいぜい二、三十年だ
「新たな世界には新たな詩の書法が対応する」――岩成達也
変わり続けなければならない
「マダム・レインの子供を
他人は見ない
恐ろしい子供の体操するところを
見たら
そのたびにぼくらは死にたくなる」
レインちゃんは言葉の中で育つ
恐るべき子どもたちを愛し
育んでいる
僕は言葉の中で成長してきた
(鶴山裕司『聖遠耳 Sei Onji』)
鶴山さんには吉岡実論もあり吉岡さんの詩法に精通しています。引用の技法も思想的問題として咀嚼した上で使っています。『聖遠耳 Sei Onji』は21世紀初頭の自由詩らしく様々な詩の技法が使用されていますが、まったく浮いていない。そのくらい言葉を操れないと長篇詩は書けないか(笑)。
■ 鶴山裕司連載長篇詩『聖遠耳 Sei Onji』(No.011)縦書版 ■
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