歌誌でも句誌でもいわゆる創作指導の文章はたいてい読み飛ばしてしまいます。もちろん商業歌誌句誌は初心創作者をメインターゲットにしているわけですからその重要性は重々承知しております。ただ初心者を少しでも超えてしまった読者にはあまり面白くない。テニオハ指導はいつの時代でも誰かが書き続けているわけで内容に多少の差があっても基本的には金太郎飴のようなものです。またテニオハ指導散文ばかり書いていると優れた資質を持った歌人俳人でもじょじょに狭い歌壇俳壇に視線が釘づけになってしまいます。それはあまりいいことではありません。
ですから雑誌を読みながらどうしても作家性が際立つ文章や短歌俳句の根幹に迫るような思想を持った文章を探してしまうことになるわけですが今号では高島裕さんの「文語・旧かなは現代語である」が秀逸でした。高島さんについてはほとんど予備知識がありませんがその文章はとても的確です。ちょっと長いですがその肝の部分を引用します。
短歌において用いられている文語文体と旧かな遣い表記は、「古い」ものであると思われている。現に、多くの歌人たちが生きた言葉として用いているにもかかわらず、それらを「古い」見なすのは、考えてみれば奇妙なことである。
短歌において用いられている文語文体と旧かな遣い表記は、日常言語においてかつて用いられ、現在は用いられることの少なくなった文体と表記法をもとに成立している。それが、「古い」と思われている理由だが、前節で述べてきた通り、日常言語と詩歌とでは、言語に対する向き合い方が異なっている。歌人たちは、それぞれ孤独に詩を追求する中で、言葉の物質的な手触りにこだわって、与えられた言語環境の中で、文語文体と旧かな遣い表記を選択しているだけだ。今を生きる歌人の詩的必然において選ばれている以上、文語文体と旧かな遣い表記とは、現在を生きている言葉として捉えられねばならない。
品田悦一は、万葉の古語に出会った時の若き斎藤茂吉について、次のように推察している。
万葉の古語は何よりもまず、見慣れないことば、珍奇なことばとして茂吉の目を奪ったのだろう。(後略)
(『斎藤茂吉』)
茂吉にとっての万葉語を、戦後の国語教育を受けて育った私たちにとっての文語・旧かなと置き換えて考えてもよいだろう。重要なのは、言葉の出所が古いか新しいかではなく、言葉の質感、手触りなのだ。
また、よく言われるように、近現代短歌において用いられる文語は、近代文芸としての短歌に適応して独自に発達したものであって、それ以前の古文とは別のものだと考えた方がよい。文語文体を駆使する現代の歌人が、必ずしも古文をすらすら読みこなせるわけではないことを考えれば、自明であろう。
(高島裕「文語・旧かなは現代語である」)
高島さんは「文語文体と旧かな遣い表記は、「古い」ものであると思われている」が「重要なのは、言葉の出所が古いか新しいかではなく、言葉の質感、手触りなのだ」と論じておられます。また「近現代短歌において用いられる文語は、近代文芸としての短歌に適応して独自に発達したものであって、それ以前の古文とは別のものだと考えた方がよい」とも書いておられます。正しい認識ですね。
明治十年代の終わり頃から小説の世界で言文一致体の模索が始まりました。三十年代の終わりになって夏目漱石や島崎藤村が決定的な言文一致体小説を書いて以降は小説の世界だけでなく評論やエッセイなども言文一致体に移行します。ただ言文一致体の成立を検討すればそれが必ずしも話し言葉と書き言葉の一致ではなかったことがわかります。もちろんより話し言葉に近づけるために言文一致体が生まれたわけですがそれは新たな文体の創出と言ってよいほどの試行錯誤と苦労を重ねたものでした。言文一致体は新たな書き言葉の創出だったのです。また言文一致体だけが当時の新し文体模索の試みではありませんでした。
森鷗外の『舞姫』を高校の教科書などで読んだ方も多いと思います。文語体小説と思われていますが江戸の文語体とは異なる文法を使っており国語学の世界では変態文語体と呼ばれます。鷗外を始めとする文学者たちは従来の文語体をより現代的にすることで言文一致体とはまた別の新たな明治の文体を創出しようとしていたわけです。このような文語体から言文一致体への移行があった上で短歌の「文語文体と旧かな遣い表記」と考えなければなりません。
高島さんの論考では日常言語という用語がちょっとわかりにくいニュアンスを持ってしまっていますが江戸の人は文語という日常言語を使って文章や文学作品を書きました。おおむね明治四十年代以降の日本人は言文一致体という日常言語を使って書くわけです。どちらも日常言語であることに変わりはありません。ただ高島さんが書いておられるように「日常言語と詩歌とでは、言語に対する向き合い方が異なっている」のです。
詩人は日常的に使っている言葉で作品を書きます。日常言語を使って日常言語以上の何かを表現しようと苦労するわけです。それは江戸でも現代でも変わりません。だから「言葉の質感、手触り」が問題になる。文学作品はその内容(感情や思想表現)と密接に関係していますが内容を際立たせる大きな要素が修辞です。現代短歌で使われる文語や旧かな遣いは表現をよりドラマチックにするための修辞だと考えた方がよい。詩歌では現代語や古語などあらゆる言葉を使ってよいのです。
今ではわかりにくくなっていますが江戸時代でも意識的に古語を使って当時の日常言語を泡立たせようとした歌人はたくさんいます。俳句を考えに入れるとさらにわかりやすいですね。俳句の世界ではほとんど文語体と言文一致体が問題になることはありません。老いも若きも「けり・かな・や」の切れ字をなんの疑問もなく使っています。なぜか。文語体の切れ字がなければ短い俳句は日常言語とは異なる詩歌言語になかなか飛翔してくれないからです。また切れ字の使い方は本質的に江戸時代でも同じです。「けり・かな」は散文でも使いますが「や」という詠嘆調の切れ字は江戸でもほぼ俳句にしか使いません。つまり江戸の人にとっても「けり・かな・や」の切れ字は詩的感興を呼び覚ますための修辞だったわけです。
ではなぜ短歌の世界では文語体・旧かな遣いと言文一致体の違いが大きな問題として議論されるのでしょうか。これについても高島さんが的確に書いておられるので続きを読んでみましょう。
ここ数十年来の口語短歌の進化を背景として、短歌における文語・旧かな使用に対する批判が繰り返されている。そうした批判の主旨は、大きく二つにまとめることができる。一つは「文語・旧かなはとっつきにくいため、短歌が広く受け容れられることの障害になっている」というものである。(中略)
もう一つの批判は、「文語・旧かなは古い言葉であり、現在のリアリティーを掬い取ることはできない」というものだ。
文語・旧かなは古いもの、という考えが誤りであることは前に述べた。だから、この批評の主旨を正しく言い換えるなら、「短歌におけるリアリティーは、日常言語に寄り添うことによって獲得される。日常言語からかけはなれた文語・旧かなでは無理である」ということになる。この批判は、詩歌と日常言語との本質的な違いを理解せず、およそリアリティーというものが、日常言語によって捉えられる世界の中にしかないと思い込んでいる。しかし、リアリティーは歌人自らが、言葉と格闘する中で摑み取るものではないのか。詩歌に携わる者ならば、言葉こそがリアリティーを創り出すのだという認識と、覚悟と、矜恃とを持つべきである。
(同)
口語短歌を新たな短歌として標榜する若手歌人が現れてから「文語・旧かな使用に対する批判が繰り返され」るようになりました。彼らの主張は高島さんが指摘なさったように「短歌におけるリアリティーは、日常言語に寄り添うことによって獲得される。日常言語からかけはなれた文語・旧かなでは無理である」ということに尽きます。しかしこれも高島さんが書いておられますが「リアリティーというものが、日常言語によって捉えられる世界の中にしかないと思い込んで」いるからそのような認識が生まれるのであり「リアリティーは歌人自らが、言葉と格闘する中で摑み取るもの」であるのは言うまでもありません。
日常言語と言うより話し言葉と同じレベルでしか短歌を書かないと決めるにはある種の覚悟が必要です。それを意志的に選択すれば基本的には言文一致体や文語体など様々な日本語表記の遺産を使えないことになります。たとえば俵万智さんはニューウェーブ短歌の始まりに位置する歌人だと言われますが口語短歌歌人ではありません。平気で文語体や旧かな遣いを使用なさいます。東直子さんらも同様です。
意志的に話し言葉レベルの表現を選択した歌人ですぐに思いつくのは穂村弘さんですが彼は希代の短歌オタクでもあります。意志的選択かどうかはそのような作家のバックボーンから判断されるべきもので流行風邪にかかったように口語短歌を標榜してもいずれ化けの皮が剥がれます。またバッサリ短歌の遺産を捨てるわけですから文語・旧かなを批判して口語短歌を標榜すればするほどその後の歩みは苦しくなる。
たいていの口語短歌論は知識不足から来ています。ニューウェーブ短歌を早くも一種の遺産にしてその上っ面を掠める形で歌壇で目立とうとするからしょうもない文語・旧かなを批判に傾いている気配がある。しかしそんなに簡単に事は運ばないと思います。短歌の歴史は長いのです。舐めてかかると手痛いしっぺ返しをくらいます。
また話し言葉と同質の口語短歌はそんなにわかりやすいものなのでしょうか。話し言葉で書けば「短歌が広く受け容れられることの障害」があっさり取り除かれるのでしょうか。大いに疑問です。文語・旧かなを排除して話し言葉に近い言葉で書くと、短歌は逆に難解になり袋小路に陥って短歌人口を減らすブレーキとして働くことだってあり得ると思います。
路地路地に色色タイル貼り分けてゲーセンと地中海バルの谷 斉藤斎藤
蜘蛛は巣をはなれてねむる こんにちは しらない人ときょうは目が合う
占いとベンチの町は垂れ込めて美容室ならよじ登れそう
冷房はついているけどむしあつい五月みたいな六月の風
2時間後どきどきしながら取りに来る 自由が丘のいいところ 治安
斉藤斎藤さんは穂村さんと並ぶ覚悟を持った口語短歌歌人です。作品はとても気になる作家であり彼の作品に言及するかどうかは別として多くの歌人が注目していると思います。なぜか。彼の作品がどこに向かうのかまたその着地点はどんなふうになるのか知りたいからです。その意味では優れた才能の気配はありますが評価はまだペンティングの作家です。
ただ今号に発表された作品を読めばそれほど単純な意味内容(イメージ内容)ではないことがわかりますね。いわゆる評釈しようとすれば一義的な意味解釈にはなりません。多様な解釈が可能な短歌だと好意的に評価することもできますがどんな形でも読めてしまう詩的な詩ということもできます。つまりいわば現代詩の短歌版です。それがどんな形で短歌伝統と切り結び短歌の表現史を更新するのか見極めない限り正確な評価はできないということです。
これも乱暴に言えば何も選択しないという強い意志があるから今の斉藤さんの作風があると言えます。決定的な悲しみも喜びも苦しみも書かないで話し言葉のように流れ流れては消え去る風景と心象をひたすら短歌形式で捉えているとも言えるわけです。しかしそれならなぜ多作ではないのか。なぜこんなに短歌を書くのが苦しげで歓びに欠けているのか。斉藤さん個人の道行きとは別に歌人は真剣にそんなことまで考えてみるべきでしょうね。
高嶋秋穂
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