岡野隆さんの『詩誌時評・句誌』『角川俳句』の4連投です。『角川俳句』さんの場合、毎号毎号判で押したようなページ構成です。簡単にまとめると俳句初心者向けのプチ知識&添削コーナーがズラリと並んでいます。俳句メディアの主な収入源であり、俳壇を活気あるものにしているのが毎年大量に参入してくる俳句初心者なのだからしょーがない。どんなに高邁なことを言っている俳人でも、俳句初心者をメインターゲットにした俳句メディアの恩恵を受けています。
ただまー外の世界から見ていると、もそっとなんとかならんものかなー、とは思いますね。マトモな文学者なら、俳句メディアを読んで「こりゃなんじゃぁ」と呆れて批判したくなるものだと思います。ところがそーはなっていない。同じ詩でも、俳句より遙かに不況が深刻な自由詩から詩人が俳壇に参入してくることもありますが、あっさり俳壇ルールに取り込まれる。歌人は俳壇に対して批判的ですが、兄弟姉妹なので見て見ぬふりをしている気配ですね。
ただ俳壇は恐らく江戸時代から現代まで同じようなものだったと思います。10年一日、あるいは100年一日のように何事もなく過ぎてゆく。俳壇のレベルの低さにカリカリする人はたまーに現れますが、俳壇の大勢はそんなものは例外だと知っていますから、何事もなかったように初心者や門弟たちの俳句添削を行いながら、次の世代にそっくりそのまま以前と同じ俳壇を譲り渡してゆく。絶望しない方がおかしいのですが、俳壇の大勢は絶望などしない。そもそもそういった知性を持ち合わせていない。
俳句は面白いのですが俳壇はくだらないと言い切っていいわけですが、その理由は俳壇の大勢がそういった批判がそもそも聞こえない、端から無視していいとわかっているからです。利権は旧態依然たる俳壇にあるわけですから、利権=実権を押さえている方が強いに決まっている。何を言われても馬耳東風でいいわけです。ですから俳壇の批判は――多少でも既存俳壇の利権の恩恵にあずかりたい下心のある俳人でなければ――どれだけやっても一向にかまわないのであります(笑)。
■ 岡野隆 詩誌時評『句誌』『No.106 大特集「発見を生かすために-「報告句」を抜け出す」(角川俳句 2018年07月号)』 ■
■ 岡野隆 詩誌時評『句誌』『No.107 「宇田喜代子×堀信夫「芭蕉の手紙」」(角川俳句 2018年08月号)』 ■
■ 岡野隆 詩誌時評『句誌』『No.108 「川名大「「支那事変六千句」八十年目の真実」(角川俳句 2018年09月号)』 ■
■ 岡野隆 詩誌時評『句誌』『No.109 大谷弘至「宇宙のなかの孤独―近代人一茶」(角川俳句 2018年10月号)』 ■
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