鶴山裕司さんの連載長篇詩『聖遠耳 Sei Onji』No.006をアップしましたぁ。金魚屋から『日本近代文学の言語像Ⅱ 夏目漱石論-現代文学の創出』を好評発売中の、鶴山裕司さんの長篇詩2,187行です。
鶴山さんはだいぶ前から詩は形式的にも思想的にも一切の制約がない自由詩である、それが詩の原理的な定義であると書いておられます。また明治維新によって漢詩が滅び、それに代わって自由詩が発生した。もそっと具体的に言うと、有史以来、日本は中国を文化規範として、漢詩漢文によって中国経由で新しい言葉、概念、思想を日本文化に受容吸収してきた。明治維新によって文化規範を欧米に大転換した日本では、それ以降、自由詩が江戸までの漢詩の役割を担うようになった。欧米の新しい言葉、概念、思想をいち早く日本文化に導入したのが自由詩である。それによって自由詩は、日本文学の中でのアンテナ文学、つまり前衛文学としての地位を確立したと述べておられます。あ、こういったことはもちろん『夏目漱石論』にも書いてあります(笑)。
石川がチェックしている詩誌などでは、上記の鶴山さんの詩史・文化史的な考察が、かなり浸透しています。ただ相変わらず鶴山さんの思考の上っ面を掠めたような文章が多い。詩史、文化史、つまりは通史を書くのは難しいのです。一貫してブレない思想が必要です。またそういった一貫した思想がいくつも出てきて、その中で後世になってから〝これが正しい(あるいは正しかった)〟という判断が下されるのが常です。上っ面をなぞるのは剽窃以前の児戯です。だいたい詩人たちは、現代詩すら相対化できていない。誰が見たって現代詩って、入澤康夫さんたちに代表される60年代から70年代にかけて全盛期を迎えた前衛詩の一つのカテゴリーです。50年代から60年代が全盛期だった戦後詩と変わらない。なぜ現代詩すら相対化できないのか詩人さんたちはわかっていますよね。簡単に言えばヘタレだからです(笑)。
で、鶴山さんの長篇詩は続きます。病院のベッドとその周囲数百メートルをウロウロしながら10日ほどで書き上がった長篇詩です。ミニマルでマキシマムな詩篇です。
■ 鶴山裕司 連載長篇詩『聖遠耳 Sei Onji』(No.006)縦書版 ■
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