鶴山裕司さんの連載長篇詩『聖遠耳 Sei Onji』No.003をアップしましたぁ。金魚屋から『日本近代文学の言語像Ⅱ 夏目漱石論-現代文学の創出』を好評発売中の、鶴山裕司さんの長篇詩2,187行です。漱石論を刊行したことで、この作家の全貌が一気に明らかになり始めています。『聖遠耳 Sei Onji』は21世紀の詩の書き方として、かなり強い影響を与えることになるでしょうね。
「それは違う」
「間違っている」
「汝一人になっても正しい道を行け」
臆病者のオデュッセウスのように
両方の耳に蠟を詰めなくても良いので
僕は友の声を聞きながら
われらの声を聞いて
われらに従った
それにより友と仲間を失い
晴れやかな孤独の聖遠耳となった
(鶴山裕司『聖遠耳』)
鶴山さんは本質的な意味での前衛作家であり、その試みは既存の文学や組織と激しく対立する面があります。詩の世界では明らかに冷や飯食いですな(笑)。ただま、そんなことを気にかけないのが前衛の前衛たる所以です。前衛とは未来の文学ヴィジョンを先取りした表現者のことであり、既存の書き方や権威に従順で、今まで通りのレールを辿って表現者として頭角を現そうとする者は前衛ではないわけです。
『聖遠耳 Sei Onji』の大きな特徴は意識と無意識の間を往還して、無意識の奥深くまで表現意識が潜行することにあります。パウンドや西脇順三郎も使った方法ですが、それを極めて現実的に、ということはドラマチックかつ無意識領域の深いところまでえぐり出しているのが『聖遠耳 Sei Onji』最大の特徴です。
われらはさらに命じる
「修辞を捨てよ」
「修辞をですか
それは恐ろしいことです」
「ならばなおさらのこと」
(同)
といった詩行に表現されているように、『聖遠耳 Sei Onji』はいわゆる〝詩的な表現〟を排除しています。現実に即したザラザラとした残酷な言葉で〝詩そのもの〟を表現しようとしている。比較的読みやすい詩だと思いますが、現代詩には属していません。自由詩の原点に立脚した自在かつ独自の長篇詩です。
■ 鶴山裕司 連載長篇詩『聖遠耳 Sei Onji』(No.003) ■
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