小原眞紀子さんの連作詩篇『Currency』『止』(第10回)をアップしましたぁ。金魚屋から『文学とセクシュアリティ-現代に読む『源氏物語』』を好評発売中の小原さんの新作詩篇です。
石川はつい最近知ったのですが、資生堂の現代詩花椿賞が2017年を最後に終了したんですね。ん~、客観的に言って現代詩は衰弱の一途を辿ってるなぁ。「文學界」の巻頭ページは長いこと現代詩でしたが、数年前に「巻頭表現」にリニューアルして短歌俳句、写真、美術などさまざまな前衛アーチストの作品を掲載するようになっています。詩の世界にどっぷり漬かっているとわからないかもしれませんが、外部から見ると〝現代詩〟にはもはや力も魅力も感じられないということです。もっと俗に言うと現代詩は外部から完全に見切られた。もはやいち早く現代を表現する前衛ではないということです。
じゃ、どーすりゃいいのよ、ということになりますね。「そりゃ詩人さんたちの責任でしょ」と言うのは正論ですがあまりに冷たいので石川の意見を書きますと、詩の世界でまず軸となる人材を見つけ出す、あるいは作り出すことですね。その場合の要件は、
・詩を外部から相対化できること
・筆力があること
でしょうね。この2点は深くリンクしています。どちらが欠けてもよろしくない。
「現代詩は終わった」と言うのは一つの方便でありまして、モダニズムも戦後詩も現代詩もその影響はずっと続きます。しかし自由詩が一昔前の現代詩を超克した新たな詩の姿を求められているのは確かです。その実現には実作と理論が必要です。ただし現代詩ギョーカイにはまり込んでいると、いくら書いても古い枠組みを抜けられない。他ジャンル、つまり世界全体の変化を基盤にして、現代詩を含むすべての自由詩を相対化できる知性が必要です。
21世紀的な詩を模索できる人材は頭一つ抜けた審級から詩の世界を捉え、実作でも理論でも多作が可能な人材が望ましい。もち実作と理論を別人が担当してもいいのですが、詩の歴史を振り返ればそれは期待薄でしょうな。優れた詩人はほぼすべからく実作者で理論家でありました。たまさか誰かの詩集がちょいと売れたくらいで現状は変わらないわけで、軸=基盤となるような実作と理論を作り上げられる人を立てる必要がある。いわばリーダーシップを委ねるわけですから、人選を誤ると当然悲惨なことになります。
時とともに
玉は世界をめぐる
時とともに
ここへもどってくる
草はらで育ったなら
草の匂いを立て
乳で育ったなら
乳臭さをただよわせ
そのまま止まる
空を見上げて
北方からの風にひとつ
くしゃみをする
ぷるんと身震いして
セーターを着る
南方の市場で買った
目が詰まった
草花模様の
バーゲンで安かった
(小原眞紀子『止』)
『文学とセクシュアリティ』をお読みになればわかりますが、小原さんは社会学ではなく、文学に即したフェミニズム理論を明らかにした史上初めての作家です。『文学とセクシュアリティ』は単純な『源氏物語』論ではありません。本質的にフェミニズム文学論です。もの凄く乱暴なことを言えば、社会=制度は男性性(簡単に言うと男)のモノですが、文学=脱制度は女性性(簡単に言うと女)のモノだということを理論で示しました。文学は女のモノだと言うとまたガチャガチャしますが、文学が本質的に〝女性性〟に支えられた表現であるのは確かです。なぜ純文学は功成り名を遂げた立身出世物語ではなく、たいていは社会からドロップアウトした人の物語なのかなど、単純ですがはっきり現象として指摘できる文学の数々の特徴を『文学とセクシュアリティ』で完全に説明できます。作家の性別が男だろうと女だろうと、『文学とセクシュアリティ』を元に新たな文学パラダイムを作ることができる。現状も未来も見通しにくい時代には、これは確実と言える文学の基盤=原理を抑えるのが一番確かな方法でしょうね。
マジで小原さんくらい頭の切れる女性作家を石川はほかに知りません。マルチジャンル作家でもありじゅうぶん詩の世界の軸になり得る人材だと思います。でもご本人は「イヤよ」と言いそうだなぁ。そのあたりがむちゅかしいところです(笑)。
■ 小原眞紀子 連作詩篇『Currency』『止』(第10回)縦書版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇『Currency』『止』(第10回)横書版 ■
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