小原眞紀子さんの文芸誌時評『No.121 北条裕子「美しい顔」-新人はおもしろい[号外・芥川賞発表](群像2018年6月号)』をアップしましたぁ。群像新人賞を受賞し、処女作で芥川賞候補になった北条裕子さんの「美しい顔」を取り上げておられます。久しぶりに文芸5誌の新人賞受賞作で、処女作で芥川賞受賞かと期待されたのですが、東日本大震災のノンフィクションからの引用があることが指摘され受賞は見送られたようです(必ずしもそれが受賞を逃した理由ではないようですが)。
ただ小原さんは、『「美しい顔」の最も説得力のある部分、共感と感動を与える部分は引用箇所にはない。作品のテーマは、取り返しのつかない喪失の悲しみと自責の苦悩にある。これについてまさに、なぜここまで書けたのかと思わせる出来だったからこそ評価が高かった。このテーマは著者が固有の、おそらくは自らの体験とそれへの深い考察を経て表現しているものだ。それであれば北条裕子はすでに作家であろうし、「美しい顔」は読むに値する』と高く評価されています。石川も同感です。
芥川賞は一般社会で最もよく知られた文学賞ですが、純文学作品を出版する版元と純文学作家は、芥川賞でも受賞しなければ一般社会で話題にすらならないというのが本当のところです。ただ芥川賞は実質的に文藝春秋社が主催する賞であり、文學界が強い決定権を持っているのは知っておいた方がいいです。基本文藝春秋&文學界関連の作品と作家が優先されます。
また芥川賞は作家としてデビューした新人に与えられる新人作家の文壇新人賞です。受賞作は話題になるので多少売れますが、決して作家の将来を保証するものではない。ここ何十年かの芥川賞作家で、質量ともに優れた作品を書き続けているのは西村賢太さんくらいかもしれない。新人賞を受賞すれば多少は注目されますが、それを活かせるかどうかは作家次第。まだ魔法が解けていない芥川賞ですら、受賞の話題性だけで引っ張れるのは2年が限界でしょうね。
新人作家は何らかの形で他者を納得させ圧倒して世の中に出ていかなければなりません。具体的に言うと売れる本を書くか新人賞を受賞するのがその第一歩になります。理想は売れる本+新人賞ですね。ただ新人賞が目的化するのはよろしくない。どんな世界でも競争があるとはいえ、特に新人作家の新人賞である芥川賞の場合、芥川賞を受賞するのが目的化しているようなところがある。でも受賞がピークでは話にならない。
作家としてコンスタントに活動することは、一定部数の本がコンスタントに売れることと同義です。新人賞は通過点に過ぎない。芥川賞作家として名前が知られていても、本はおろか作品発表の場すら思うように得られない作家は山ほどいます。文壇的には優遇されていて本は出ても、ぜんぜん売れてない作家もたくさんいる。そうなると無名作家より苦しい。そういった現実をしっかり確認しておいた方がよろし。
もちろん新人作家は魅力的です。石川を含め、文学関係者は新しい感性で同時代を捉える新人作家の出現を待っています。ただ作家として活動し続ければ、すぐに新人という目新しさが失われます。多くの先輩作家と同様に毀誉褒貶の嵐にさらされ、しかも作品の魅力で一定数の読者を獲得しなければならなくなる。新人賞を設けているメディアの役割は、新人作家に〝未来を先取りすること〟を覚えさせることでしょうね。
作家は死ぬまで作品を書き、それを本にして売る戦いが続くのです。うんざりするほど長い。作家は作品を書くことにスリリングな喜びを感じられる者のことですが、その実人生はたいてい退屈なものです。また実生活が平穏無事でなければ作品は量産できない。賞の授賞式に出席して、家に帰って新しい作品の続きを書くくらいの作家でないともたないのです。
■ 小原眞紀子 文芸誌時評『No.121 北条裕子「美しい顔」-新人はおもしろい[号外・芥川賞発表](群像2018年6月号)』 ■
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