小原眞紀子さんの連作詩篇『ここから月まで』『独/壁/遊』(第29回 最終回)をアップしましたぁ。小原さんのCool抒情詩も今回で最終回です。最終回にふさわしい詩篇です。
待つときは独り(中略)
進むときも独り
手を振りはらって
行かなくてはならない(中略)
出逢うときは独り(中略)
やがてはすれ違う
ゆっくり顔を見合わせ
笑みを浮かべながら
前を向いたら互いに忘れる
だから今
僕は存在する
独りでなければ
存在しない
君の姿を
眺めるだけ
(小原眞紀子『独』)
石川は自由詩について厳しいことを書きますが、その目的は詩人さんたちといっしょに、今までとは違う詩書の出版方法を模索するためです。詩の世界にどっぷり漬かっている限り、詩人さんたちは詩書が売れないということ自体認められないと思います。自分が全精力を傾けている表現に市場がない、読者がいないなどあり得ない、到底認められないということです。しかし自由詩の世界を外から眺めれば売れないのは当然。もし売れたら宝くじに当たったのと同じです。だからと言ってすべての詩書が売れるようにはならない。
自由詩の詩書商業出版は、現状では詩人さんたちの虚構に等しいプライドで回っています。詩人さんたちに商業詩誌に書かせてわずかでも原稿料を支払ってプライドを満たしてやり、売れるかもしれないという甘い期待で実質的な自費出版をさせ、投資コストを上回る利益を回収する。詩書商業出版があくどいなどと言ってるわけじゃありませんよ。石川は経営者でもありますからそうしなければ詩書出版の経済が回らないことがよーくわかります。むしろ現状の投資と回収システムを作り上げた商業詩書出版社はスゴイなと思います。それなりに淡い期待を抱かせるブランドなのです。大変な努力です。
でもこのシステムでは詩が置かれた状況の厳しさが曖昧になる。またずーっと自費出版を続けていれば、たいていの詩人の意欲が萎えてしまう。まず共通パラダイム(関心事)が消失した現代では、詩書は売れないとはっきり認識することです。ちょい前まで、詩人さんたちは自分の詩作のタメニナル詩書をわずかでも買っていたわけですが、どれもこれも参考にならなければ詩書は売れない。商業ジャーナリズムは気まぐれに過去作家の仕事を評価したりしますが、プチムーブメントに過ぎず、浮かんでは消えてゆくだけです。
詩人さんが詩書を出版し、一定部数を売って本を出し続けるためにはあらゆる努力をしなければなりません。詩が置かれた状況を整理し、詩の未来のヴィジョンを提示するのはその一つの方法です。また他ジャンルの表現を手がける方法もあります。詩人のプライドなんて現実世界で力を持たなければクソみたいなものです。作家として優秀だというプライドがあり、そのプライドに裏付けがあるなら、どんな形であろうとそれを目に見える形で証明しなければなりません。
小原さんは『僕は存在する/独りでなければ/存在しない』と書いておられます。その通り。作家は孤独なんです。結局はだーれも助けてくれない。商業詩書出版に過剰な期待をするなどお門違い。孤独を深め、自分の能力で力づくで扉をこじ開けること。それしかありません。小原さんには引き続き詩のお仕事を発表していただく予定です。
■ 小原眞紀子 連作詩篇『ここから月まで』『独/壁/遊』(第29回 最終回)縦書版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇『ここから月まで』『独/壁/遊』(第29回 最終回)横書版 ■
■ 第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第06回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■