岡野隆さんの『Ongaku & Bungaku by kingyo』『No.032 ロキシー・ミュージック『A Song for Europe』』をアップしましたぁ。岡野さんによる歌詞批評、ニール・ヤング 『ヘルプレス』、ロキシー・ミュージック『A Song for Europe』の連投です。いい歌詞ですね。岡野さん、楽しんで訳しておられるのがよくわかります。ニール・ヤングやロキシー・ミュージックの、あまたある楽曲の中の代表曲ですから、やっぱり出来がいいです。
日本に限りませんが、欧米でも詩は最初、歌といっしょにありました。それがどんどん文字だけの表現になってゆき、音から極限的に遠いハードコアな現代詩を生みました。それはそれで一つの必然的な道筋です。もちろん一方で詩に歌を回復さる試みも為されたのですが、あまり上手くいってない。少なくとも単に詩を朗読したくらいで音楽性を取り戻せるわけではない。その意味で石川は、なんらかの形で音楽性を念頭に置いた詩でなければ、朗読しても聞き手にインパクトを与えられないと思います。
じゃあ楽曲でなく、あくまで書き文字の詩であって、なおかつ音楽性を感じられる作品とは何か、ということになります。これを突き詰めて考えてゆくと、間違いなく袋小路に入って何がなんだかわからなくなります。〝詩的〟と〝詩〟には論理を超えた飛躍があるからです。詩的な要素を並べ立てても詩にならない。受け手が『ああいい詩だな』と直感的に感受したところから詩的要素は生まれるのであって、その逆ではない。つまり分析しても結論は得られない。
ただ曖昧な言い方ですが、内在的なリズムが詩に音楽性を与えるんでしょうね。その水脈を辿って、実際に音を与えて歌うことができるかもしれない。この『内在性(水脈)とは何か?』を捉えることが、書き文字の詩の音楽性になると思います。韻を踏んでも五七五にしてみても、即座に詩に音楽性が得られるわけではないのです。
■ 岡野隆 『Ongaku & Bungaku by kingyo』『No.032 ロキシー・ミュージック『A Song for Europe』』 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■