鶴山裕司さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.025 悪童(ワルガキ)のままで――『加藤元重句文集-戦後編』』をアップしましたぁ。俳句同人誌「鬣」主宰の林桂さんのプレスから出版された『加藤元重句文集-戦後編』を取り上げておられます。加藤元重について鶴山さんは『加藤元重は重信の早稲田大学時代の友人で戦後しばらく重信と俳句活動をともにしたが、やがて俳句からも文学からも離れてしまった群小作家の一人である』と書いておられます。
ではなぜ加藤元重というマイナーな作家の本が出たのかというと、『一つには重信前衛俳句の継承者である岩片さんや林桂さんの、重信研究の一環として必要だからである。また俳句文学の特性も影響している。加藤元重は高柳重信が高柳重信となる若い時期に文学的行動を共にした人である。その記憶は重信の歩みとともに徐々に薄れてゆくことになるが、初期の仕事に影響を与えている』(by鶴山さん)からだということになります。
現在は書店や出版システムも含めて文学の世界が大きく変わろうとしている時期ですから、今一度過去の文学動向について腰を据えて考えてみる必要があると思います。高柳重信の前衛俳句についても、〝前衛とは何だったのか〟の再定義が必要でしょうね。俳壇では重信的俳句を伝統俳句の結社と同様に死守しようという動きも見られるわけですが、そうなるともう前衛ではないですね。少なくとも新たな表現領域を切り拓くという意味での前衛ではない。じゃあ重信的前衛俳句の本質はなにかの再定義が必要になるわけです。
鶴山さんは『優れた作家はみなそうだが、人生のある時期に知り合った文学上の友人知人を、言葉は悪いが踏み台にして自己の文学を作り上げてゆく。踏み台に、つまりは乗り越えるべき対象には当然年上の先行作家たちも含まれる。優れた詩人たちはそれを知っている。自分の仕事もまた、後進世代の踏み台になり乗り越えられるべきものである。ただできる限り良い踏み台であり、乗り越え甲斐のある仕事を残そうと願っている』と批評しておられます。あえて前衛と呼ばなくとも、重信を含む過去作家の営為は本質的位相で乗り越えられ、更新され続ける必要があるということです。
■ 鶴山裕司『BOOKレビュー・詩書』『No.025 悪童(ワルガキ)のままで――『加藤元重句文集-戦後編』』■
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