佐藤知恵子さんの文芸誌時評『大衆文芸誌』『No.116 嶋津輝「カシさん」(オール讀物 2017年03月号)』をアップしましたぁ。嶋津輝さんは第96回オール讀物新人賞受賞作家です。石川もたまたまこの作品を読んでいて、力があるなぁと思っていました。佐藤さんは『こういったお作品を傑作だと感じるのは、多分、女の読者だけね。(中略)この感覚を突き詰めてゆくと、男女間の恋愛沙汰を描くより、女性同士の密やかな心の交流を描く方が小説のテーマがはっきりする場合がござーますの。嶋津先生のお作品はそういったタイプの小説ね』と批評しておられます。
何度も書いていますが、石川は現在の純文学の実態的あり方に異議があります。文學界などの純文学誌とオール讀物などの大衆小説誌を一年も読めば、誰でもその理由がわかります。純文学は文學界的な私小説を基盤にしていて、その内容や書き方はほとんど制度と言っていいほど固着化しています。ちょっと極端なことを言うと、純文学作家の新人賞である芥川賞は、この純文学制度の中での優劣を競っている賞だという面があります。だから純文学制度の牙城である文學界の生え抜き作家さんたちは、芥川賞を絶頂としてその後は下降線を辿ってしまうことが多い。受賞後に活躍できるのは、純文学制度から少し外れたところから現れて、ラッキーにも芥川賞が〝飛び道具〟として受賞を〝許した〟作家が多いのです。
この純文学制度から思いっきり外れてしまう作家に、女性作家がいます。江國香織さんや井上荒野さんは直木賞受賞で、日本の文壇制度では大衆作家とみなされていますが、石川は純文学作家だと思います。オール讀物新人賞受賞の嶋津輝さんも、その気になれば純文学を書けるでしょうね。日本の文壇では芥川賞つまり純文学よりも直木賞、つまり大衆作家を一段下に見る傾向がありますが、これも制度疲労を起こしている既存概念であり、大いに疑問があります。そろそろガラガラポンしてもう一回ちゃんと純文学を定義した方がよろし。
もちろん文学金魚にとって芥川賞は他社が主催しておられる文学賞であり、それについてとやかく言うつもりはありません。異議があるのはあくまで芥川賞・直木賞という現実の賞を中心に、これも現実に固着化してしまった文学概念の方です。ただまぁじょじょに利益が少なくなっているとはいえ、日本の文学賞最大のコンテンツである芥川賞(純文学)の定義を、文學界が変えることはなかなか難しいと思います。現実に芥川賞が日本では特権的文学賞である以上、その主催者や受賞者が特権性を守ろうとするのも自然なことです。つまり新しい作品と思想を提示できる作家とメディアが出現しなければ、出来上がってしまった文学概念を変えることは難しいといふことです。
また読者も、じゃあ新しい純文学の定義ってなんなのよ、ってことになる。読者を納得させるには、実際と理論両面でそれを提示していかなければならないということです。文学金魚はどっかのメディアと対立することはまったく望んでおらず、皆さんと仲良くしたいと思いますが、将来的な文学の発展・継続を見据えて新たな文学のヴィジョンを提示したいと思うのでありますぅ。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評 『大衆文芸誌』『No.116 嶋津輝「カシさん」(オール讀物 2017年03月号)』 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
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