田山了一さんのTVドラマ批評『No.174 僕だけがいない街』をアップしましたぁ。NETFLIXオリジナルドラマで古川雄輝、優希美青、白洲迅さんらが出演しておられます。原作は三部けいさんの同名マンガです。田山さんは『よくできている。テレビドラマとしても連続ドラマとしての特徴を生かし、なおかつ映画のような雰囲気、しかも重くなりすぎない手付きで、見応えがある。フジテレビなどが、もしかしたらなくなってしまうのではないかと思わせるほどの組織疲労をみせている昨今、Netflixのあり方にも関心が寄せられるのではないか』と批評しておられます。
一昔前のCSは、ドラマにしろバラエティにしろ地上波にかなり見劣りしましたが、急速に差が縮んでいると思います。まあテレビに限らず仕事のクオリティは、基本的に時間とコストに正比例する傾向があります。才能があっても低予算で短期間に優れた作品を作るのは難しい。CS番組もじょじょに時間とコストをかけられるようになってきたということでしょうね。それはまたCSコンテンツの一般認知度が上がってきたということでもあります。優れたコンテンツなら地上波に売ったりDVDや配信を含めた収支も期待できますからね。
石川、ちょいと前にパソのシステムエラーがどうしても解消できなくなって、時間がもったいないんでOSを再インストールしたのです。それでも復旧に半日かかりましたね。文学金魚のお世話ができないことで焦ったわけですが、それだけぢゃなく、いかに多くの情報をパソから得ているのかってことに改めて気づきました。んでこれは必ずしもWeb文芸誌の編集人だからではなく、実感として紙媒体の文芸誌の多くは消えるだろうなぁとマジで思いました。
今の紙媒体の文芸誌は、売れっ子作家の囲い込みのために刊行されているという面があります。だけんど大衆文学は別ですが、純文学で売れっ子作家はほとんどいなくなってしまった。これも今のところ作家は昔ながらのセオリーに従って文芸誌で活動していますが、読者が付いていて本が売れる作家なら、自分で発信した方がいろんな面で効率的だって気づく。マンガなんかではすでにその兆候がありますね。ネット世代が中心になればそれはさらに進みます。雑誌と作家の都合で作られた雑誌を売ってゆくのは厳しくなるだろうなぁ。
ネット時代って情報の取捨選択、つまり検索の時代です。情報量が多いから、誰もが自分が必要な情報をピンポイントで得ようとする。このピンポイントになんらかの形ではまらなければ、有形無形を問わずコンテンツは売れない。総花的な情報発信はピンポイントをむしろブレさせるのです。文学金魚は今のところ文芸誌的方法を踏襲していますが、内部ではじょじょにピンポイントメディアへ移行しなければ生き残れないねという議論を始めています。状況は刻々と、すんごく大きく変わり続けているのであります。
■ 田山了一 TVドラマ批評 『No.174 僕だけがいない街』 ■
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