池田浩さんの文芸誌時評『No.024 三田文學 2018年冬季号』をアップしましたぁ。池田さんは『雑誌をわざわざ出すほどの社会的ヴィジョン、ましてや文学的見識といったものがあるように見えない』『文学の矛盾はいまや相当に低次元なものになっていて、この激動の世の中で、既成の文学的なるものにどっぷり漬かっていられるのは、やはり呑気な立場の人々しかない』と厳しいことを書いておられます。石川も『三田文學 冬季号』をチラチラ読みましたけど、まあ素人臭いのは確かですね。編集部が何度も意図を説明しなきゃならない特集『破局から・・・』って、なんのこっちゃ。
文学には忠実でも文壇にはあんまり関わりのない文学金魚編集人として、すんげぇ書きにくいことを書いてしまうと、編集者が編集者としての一種特権的な地位を未必の故意として利用して、編集者自身が作家として有利に活動できるように画策し始めたのは三田文學が最初だと思います。それを三田文學とちょっとした提携関係にある文學界が、三田文學よりも遙かにスマートな形でやっている。ただ柳の下にドジョウがそう何匹もいるかな。若松英輔さんでこの手法の底は割れちゃったように思います。
逆なんだな。文学に限りませんが、創作の世界は作家で支えられています。作家が本当に優秀なら、その優秀さを編集にも振り向けて、文学ジャーナリズムを活性化することも可能だと思います。だけど並みか並み以下の能力しか持っていない作家が編集に手を出すと、雑誌を自分と仲間たちを目立たせるための翼賛機関にしてしまう傾向がある。今の三田文學が同人誌的に見えてしまうのはそのせいだろうなぁ。
たいていの同人誌って、それを足がかりにして商業誌なんかに書ける作家へと〝出世〟するための踏み台ですよね。だけど三田文學は大学文芸誌とはいえ、歴史ある商業誌ですよね。三田文學は文學界への足がかりなのかな。商業誌の編集部がそんな自己否定的なことをやっちゃあきまへん。
■ 池田浩 文芸誌時評 『No.023 三田文学 2017冬季号』 ■
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