連載翻訳小説 e.e.カミングズ著/星隆弘訳 『伽藍』(第11回)をアップしました。第3章天路歴程です。カミングズさん、あっちゃこっちゃに引き回されております。彼が体験した20世紀の天路歴程です。そういえばバニヤンの『天路歴程』は、日本では昔の方がよく読まれたようです。石川の学生時代にはまだ〝現役〟の翻訳書の一つだったと思いますが、翻訳書の影響も振り返ってみるとだいぶ変わるものですなぁ。
カミングズを含むロスト・ジェネレーションは、第二次世界大戦から1980年代頃までは圧倒的にヘミングウェイがスターでした。実人生では疑問が残りますが、アメリカらしいマッチョ作家でもありますからねぇ。ただ小説ではどんどんフィッツジェラルドの評価が上がっていった。最近の映画リメイクではギャツビーですね。
この小説界の二大スターに挟まれてモダニズム詩人たちがいるわけです。アメリカ長篇詩はメルヴィルから始まって、パウンド、ウィリアムズ、オルソン、ズーコフスキー、クレイン、ベリマン、ローエル、ギンズバーグと続いてゆくわけですが、カミングズはその中で後ろを向いたオットセイ的な感じがあります。こういったなんだか時代に背中を向けたような作家は面白いのです。日本でカミングズを積極的に翻訳したのは藤富保男さんですが、彼も時代に背中を向け続けたような雰囲気があるなぁ。
短歌、俳句、自由詩の三つの日本の詩のジャンルの中で、戦後前衛を総括して21世紀的な文学にはっきり向かい始めているのは短歌だけです。俳句では前衛はなかったも同然の扱いであり、自由詩では戦後詩はOKだけど、現代詩が終わったといった言説はちょっとしたタブーです。この弊害はどういった形で現れるのか。
簡単に言うと、現存を含めた戦後詩・現代詩の詩人たちの仕事の評価がペンディングされるんですね。次の文学潮流がある程度はっきりしないと、近過去の仕事は評価しにくいのです。特に詩人同士が形式や思想の共通項を持たず、その発生以来、基本的には日本文学の前衛であり続けた自由詩の世界ではこれは深刻な問題だと言っていいと思います。端で見ていても詩人さんたちはかなり苦しいですねぇ。
■ 連載翻訳小説 e.e.カミングズ著/星隆弘訳 『伽藍』(第11回) 縦書版 ■
■ 連載翻訳小説 e.e.カミングズ著/星隆弘訳 『伽藍』(第11回) 横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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