小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』 No.022 塀/鏡/船』をアップしましたぁ。小原さんのCool抒情詩第22弾です。今回は時代の閉塞感が少しだけストレートに表現されていますね。
取り囲まれて暮らした
古い塀
木の塀
隙間のある塀に
穴を覗いていた
暇さえあれば
そうやって知ったことだけ
ほんとうのことだと思う
(小原眞紀子『塀』)
詩の世界は〝自由詩派〟と〝現代詩派〟に分離しそうです。金魚屋は詩は原理的に自由詩だと捉えていますので、そういった思考と創作活動を行う詩人たちを大切にします。ただ『詩は原理的に自由詩である』という考え方が正しいのであれば、自由詩派と現代詩派といった区分は状況的なものであり、いずれ誰もが詩は原理的に自由詩であると言い始め、考え始め、それに沿った創作を行い始めると思います。
でも一方で現在、状況的なものであれ区分が生じるということは、両者の間に〝塀〟があることを意味します。石川がチラチラ見ていても、金魚屋的な『詩は原理的に自由詩である』という考え方は詩の世界にかなり影響を与え始めています。だけどたいていの詩人の思考はまだ現代詩の方にある。現代詩という現実的制度とほんのかすかな利権に未練を残しながら、夜中にゴミ置き場の位置を少しズラす気の弱い隣人のように、少しだけ『詩は原理的に自由詩である』の方に擦り寄ってきている気配です(爆)。
こういった中途半端な思考が表現された文章を時々読んだりしますが、思考が定まっていないので10行も読めば何を言いたいんだかさっぱりわからない文章になっています。文章ってそういうものです、迷いが透けて見えてしまう。詩人さんたちは昔から、詩的という意味をわけのわからないことと捉える傾向がありますが、それが悪用されておりますな。だけどそれではダメです。塀の中の声は籠もっていて外には響かない。
儲からない、注目されない、詩集も詩書も自分で身銭切って出版せざるを得ない苦しい文学ジャンルであれば、それを変えようとするか、少なくとも何事からも自由であるべきだと思うんですが、こういった思考は塀の中にいる詩人さんたちにはわかんないんでしょうね。
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 No.022 塀/鏡/船』 縦書版 ■
■ 小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』 No.022 塀/鏡/船』 横書版 ■
■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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