大篠夏彦さんの文芸誌時評『文芸5誌』『No.110 馳平啓樹「毛沢東の家」(文學界 2017年02月号)』をアップしましたぁ。大篠さんは、『馳平氏の作品は純文学としてはほぼ満点である。ただ読者を含む世の中全体が、かつてのような純文学的書き方に刺激を受けなくなっている。もちろん純文学的書き方を極めれば(中略)芥川賞を受賞してひとときのスポットライトを浴びることができるかもしれない。ただ純文学業界にいる人たちは、回り持ちの芥川賞と飛び道具の芥川賞があることを知っている。そして読者の支持を得るのは、近年では飛び道具の場合が圧倒的に多い。いろいろな意味で壁を越えるためには思い切った飛躍が必要かもしれない』と批評しておられます。
石川は正直に言えば、文學界的純文学は限界に来ていると思います。この路線を継承しても将来の光が見えないということです。版元はまだいいかもしれない。不採算部門を抱えながらもそれがアイデンティティならとりあえず維持して、新たな採算部門を育てていけばいいからです。ただかつての指針を生真面目に継承した作家は悲惨なことになります。気がついたら「話が違うよ」ということになりかねない。
もちろんオーソドックスな純文学作家としてデビューし、その後、方向転回を図ろうとしている作家もいます。ただ今ひとつうまくいかない。その理由は認識系の転換が完全にできていないからだと思います。作家は必ず過去の成功体験に縛られます。昔うまくいったのだから、今後もそれが通用するとどこかで思っています。つまりオーソドックスな純文学界(まだ力があります)に片足を突っ込みながら、新たなことをやろうとする。どちらも中途半端になる由縁です。
あるカルチャーの影響を抜けるためには、一定期間、それとは決定的に距離を置く必要があります。今月号に誰それの作品が載った、誰それがこう評価されていると気にしていたのではダメです。少し距離を置いて見れば、それらはたいてい一般読者には届いていない業界内つばぜり合いです。業界人であることはそんなに誇るべきことではない。現代の状況と自分の作家としての力を冷静に見極め、何が書けるのか、何が現代から将来にかけて意義のある仕事なのかを自分なりに考えることが一番重要です。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.110 馳平啓樹「毛沢東の家」(文學界 2017年02月号)』 ■
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