鶴山裕司さんの連載エセー『言葉と骨董』『第047回【祝!富山県美術館開館】『生命と美の物語 LIFE-楽園を求めて』展(中編)』をアップしましたぁ。石川は文学の世界は厳しいと連呼しておりまして、「作家志望の青少年の夢を壊すんぢゃないっ!」とお叱りを受けたりもするわけですが、お言葉ですが、んな甘い認識では、結局〝志望〟で終わると思います(爆)。また別に石川は絶望しているわけではなく、現状を正しく認識しなければ活路は開けないと考えているのですね。
アメリカ文学の巨匠中の巨匠、ハーマン・メルヴィルが、晩年に長編詩集『クラレル』を自費出版したのはよく知られています。石川啄木、中原中也、宮沢賢治らも詩集はすべて自費出版です。今までは自費出版は短歌、俳句、自由詩が多かったわけですが、これからは純文学小説のかなりの部分が自費や半自費出版になると思います。石川はそれが悪いことだと思いません。原理原則を言えば、芸術と金銭は必ずしも結びつかない。また同時代の評価が全てではない。自己の作品に自信があり、企画では本を出せないなら、自費で堂々と本をまとめればいいと思います。
ただそうは言っても、少なくとも版元が嫌がらないくらいは本が売れ、本を出すのに苦労しないのが作家の理想です。それが継続できればいずれ売れる本が生まれます。ただこの最低限の理想のハードルが高くなっているわけで、それをどうクリアするのかについて、石川などの編集者が噛む余地があるわけです。その方法はもちろん作家によって異なります。鶴山さんの場合は、やっぱ総合性でしょうね。
鶴山さんは熊谷守一について、『死後、その評価はうなぎ登りに上がっていった。なぜか。熊谷がいるかいないかで、日本の洋画史が変わってしまうからである。熊谷は絶対的前衛画家である。しかしその前衛性はヨーロッパのそれとは違う。ベースボールが野球として定着したように、日本の画家は〝絵描き〟と呼ぶべき人が多い。飽くことなくキャンバスや紙に絵を描き続ける。日本の洋画家の基本は具象である。それが絵画として表現されるとき、現実の本質が抽象として表現される』と批評しておられます。
鶴山さんという作家の特徴は、その鋭敏な歴史感覚と総合的知性のあり方にあると思います。だから歴史小説が書け、詩史論が書けたりする。また文学から絵画、演劇に至るまで、無理なく批評を書くことができる。それをどうプロデュースするのかは、作家本人の課題であると同時に編集者の課題でもあります。どんな仕事でもたった一人で何かを成し遂げるのは難しい。他者の手助けが必要です。ただいつだって商品のプロデュースは素材次第。作家と編集者が素材を見極めることが、プロデュースの第一歩であります。
■ 鶴山裕司 連載エセー『言葉と骨董』『第047回【祝!富山県美術館開館】『生命と美の物語 LIFE-楽園を求めて』展(中編)』 ■
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