連載文芸評論 鶴山裕司著『夏目漱石論-現代文学の創出』(日本近代文学の言語像Ⅱ)(第14回)をアップしましたぁ。『漱石論』は『日本近代文学の言語像』三部作の中の一冊で、『正岡子規論』、『森鷗外論』といっしょに今春金魚屋から三冊同時刊行されます。『Ⅲ 英文学研究と文学のヴィジョン-『文学論』『文学評論』(中篇)』です。鶴山さんの新基軸の漱石論が、じょじょに具体的に表れ始めていますね。
デフォー論に典型的なように、漱石は常に文化全体の流れの中で個々の作家の仕事を捉え、客観的にその長所・短所を明らかにしてゆく。デフォー作品についても、「主人公の生涯の始めから終り迄写すのが主意である」と的確にその構造を捉えている。デフォーの思想は紋切り型の道徳だが、作品は小説源基と呼べるような型を持っている。このような形で小説を構造的に把握すれば、それはいくらでも活用できるようになる。デフォー的小説構造を援用した漱石作品は、処女作の『吾輩は猫である』だろう。
(鶴山裕司『夏目漱石論』)
文学金魚は創作でも批評でも新しい刺激を文学の世界全般に与えようと企図しているわけですが、日本文学の基盤となる近代文学の再検討はその重要なファクターの一つです。また鶴山さんの評論は今流行のポスト・モダニズム批評に比べれば平明に書かれていますが、これは意図的なものです。漱石を論じていてデリダやソシュールが頻出するようなポスト・モダニズム批評は一般にはまったく読まれていません。批評を地に足がついた形に戻すのも文学金魚批評の大きな目的の一つです。
とは言っても新しい試みを形にするのはそう簡単ではありません。文学金魚は創作者の表現欲求を軸にするメディアですが、創作者は誰だっていろんなしがらみからインディペンデントでいたいと思いますよね。でも実際には難しい。なぜか。露骨な言い方をすれば経済が伴わないからです。究極を言えば本が売れなければ、創作者はインディペンデントではいられない。雑誌や出版元の意向に結局は従わざるを得なくなります。
それをかいくぐって創作者が力を得て、自分の好きなように仕事ができる環境を時間をかけて作り上げてゆくという道はあります。ただどうせそうしたいなら、近道した方がいいというのが文学金魚的な理想の作家像です。それには現実的な方法を数々考えてゆかねばなりません。だから石川もけっこう大変で、GWは久々に金魚屋のお偉いさんと会議なのでした。今から「ああっこれからやりますっ、ごめんなさいっ、すいませんっ」って言う練習しておこーっと。
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■ 第05回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項 ■
第0回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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