高嶋秋穂さんの詩誌時評『歌誌』『No.034 角川短歌 2016年11月号』をアップしましたぁ。第62回角川短歌賞発表号で、前回第61回角川短歌賞で次席受賞だった佐佐木定綱さんが受賞なさいました。おめでとうございます。高嶋さんは『たいていの歌人は次席であろうと認知されれば角川短歌賞はもう卒業ということになりますが二回続けて応募して正賞を受賞された定綱さんは面白いです。(中略)なんやかんや言ってこの歌壇の貴公子にはやはり正賞がふさわしいと思ってしまいました』と書いておられます。
三日目の炊飯ジャーの干飯(ほしいい)にお湯を注げば思い出す 君
高架下掠れた「FREE!」のFのあたり蹴っ飛ばす君力の限り
ゲームならゾンビが出てくるような角 曲がって現実確かめている
地下にある防犯カメラのデータから僕の人生再生してくれ
金として盗まれてゆく新品の思想の価値は実際的らし
飛沫あぐ水道の音聞きながらつぶやいている暴力のうた
自らのまわりに円を描くごと死んだ魚は机を濡らす
君の排泄物とぼくの吐瀉物を引き合わせろよ下水処理場
(佐佐木定綱「魚は机を濡らす」)
高嶋さんは『定綱さんの歌には年長歌人にはないはっきりとした新たな世代の特徴が表現されています。端的に言えば現実世界に対して距離があります』と批評しておられます。その上で口語歌人世代について次のように書いておられます。
歌壇は現象的に見ると口語短歌全盛時代です。ただ口語短歌の本質は文語を使うか口語を使うかといったレトリックの問題にはないと思います。一番重要なファクターは定綱さん的な〝現実世界への距離感〟でしょうね。現実世界の人や物や思想を一昔前の実存をもった存在として捉えられないのはもちろん短歌では重要な私性を歌っても距離ができる。その曖昧で苦しいと言えば苦しい状態に置かれた創作者たちが安住の地を求めるように繰り返すのが〝口語〟という符牒だと思います。ただ感性を口語というプロバカンダ的スローガンに落とし込むのは危険です。
(高嶋秋穂)
石川が見ていても、口語短歌というマジックはそろそろ賞味期限が切れかかっていると思います。徹底して口語を使うくらいで短歌文学が本質的に変わるはずがないということが、露わになって来ていると言ってもいい。佐佐木定綱さんのご活躍に期待大です。
■ 高嶋秋穂 詩誌時評『歌誌』『No.034 角川短歌 2016年11月号』 ■
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